幹事クリタのコーカイ日誌2013

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2月14日 ● バレンタインデー黎明期の思い出。

 最近はちょっと盛り上がりに欠けるようになったバレンタインデー。やはりバブル時代の派手なバレンタインデーが懐かしいです。もっとも今時あんなことやってたら、お返しにお金がかかって仕方ないですけど。もう地味になってくれて大助かりです。

 もっと昔、僕が小学生の頃にバレンタインデーは知られるようになりました。1971年、僕が小学校4年生の時に初めてその名を耳にしたと思います。クラスの女子が盛り上がったのが翌1972年、5年生の時。ただ愛知県の田舎町でしたから、東京の小学生に比べたらもしかしたら数年遅れていたかも知れません。

 女子から男子に告白できる一年で唯一の日、というのは、まだ恋愛に疎い小学生男子にはあまりピンと来ませんでしたが、チョコが貰えるらしい、というのはグッドニュースでした。と言っても、5年生の時には僕の知る限り実際に貰った男子はクラスにいませんでした。まだ盛り上がっただけで実際に行動に移せるほど女子も勇気がなかったというか、様子見だったのでしょう。バレンタインデー用のチョコも今のようにどこにでも売っていたわけではないですし。

 6年生になるとさらに緊迫感が増しました。さすがにこのくらいの年齢になると好きだの嫌いだのも一丁前に言うようになります。何人かの男子は実際にチョコも貰っていました。僕も誰かから貰ったような記憶がありますが、当時好きだった女子から貰えなかったのでガッカリした記憶の方が強いです。ちょうど40年前の話ですから、初チョコから今年は40周年ということになります。

 中学生になると、ますますバレンタインデーは真剣勝負でした。まだ義理チョコなんて言葉もなかった時代。本気チョコだけです。ただ僕の場合は誕生日とバレンタインデーが1週間も離れていないので、一緒にされてしまうことが多く、プレゼントされた記憶も混同していて、何がなんだったのか、今ではあまりハッキリ覚えていません。中学2年の時には手編みのマフラーを下駄箱に突っ込まれていたことがありました。中学3年の時にはクラスの女子と交換日記をしていたので、その流れでチョコを貰ったような気がします。

 当時のバレンタインデーに対する初々しさというのは、まだこのイベントにどう向き合っていったら良いのかわかっていない試行錯誤の段階だったからでしょう。バレンタインデーが今のような形で定着したのは僕が高校生の頃、1970年代後半に入ってからだと思います。今ではすっかりこなれた感じがしてしまって新鮮味はありませんが、まあ一時期のホワイトデーのお返し期待のチョコがなくなっただけでも健全化したとは思います。



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