幹事クリタのコーカイ日誌2012

[ 前日翌日最新今月 ]


 
4月13日 ● 京都祇園暴走事故に思うこと。

 小〜中学校の頃にIという友人がいました。中学の時にはよくつるんで遊んでいた仲間の一人で、成績はあまり良くありませんでしたが、人柄はとても温厚で良い奴でした。彼は小学生の頃からてんかん持ちでした。と言っても泡を吹いて意識を失うというようなことは少なく、緊張すると我を忘れて異様な行動をしてしまうことが大半で、時々式典の最中にいきなり走り出して校長先生の前を駆け足していたりしたものです。我々も先生たちも大らかな目で彼のことを見守っていましたし、差別することもなく友達として付き合っていました。

 中学の卒業式の時に、Iは1組の出席番号1番でした。1組の1番は卒業証書を最初に受け取るのでかなり緊張します。僕たちは3年生のかなり早い時期にそれに気付いて、「あいつ大丈夫かな」と半年以上前から心配していましたが、先生たちもわかっていて敢えて順番を変えることはしませんでした。式当日、Iは発作を起こして倒れたりすることもなく無事に大役を務めあげました。僕たちは卒業式の厳かな空気の中で秘かにIの快挙を喜んでいました。

 ただ就職の時にはやはり病気のせいで苦労したようで、結局サラリーマンとしては長続きせず、地元でお茶の販売店を開き自営業への道に進みました。大人になってからはほとんど発作も起きなかったようですが、今はどうなっているか久しく連絡も取っていないのでわかりません。多分ごく普通に暮らしているんじゃないかと思っています。

 てんかんの病歴を持つ人はどうしても差別されやすいようです。しかし、本人に罪があるわけではないのですから、Iのように周りが温かく見守ってやり、時には手助けしてあげれば問題なく暮らしていけるはず。差別するから本人は病歴を隠してしまうし、クルマの運転もしてしまいます。道交法の改正によりてんかん患者でも医師の許可があれば運転免許は取得できるようになりましたが、てんかん発作による重大事故は頻発しています。昨年6月に鹿沼で小学生にクレーン車が突っ込み6人が死亡、昨日は祇園で歩行者に突っ込んで運転者も含めて8人が死亡。どちらも遺族にしてみればやり切れない思いでしょう。

 てんかん患者に運転させないことは差別ではないと僕は思います。運転を許すことで社会が引き受けるリスクの大きさを考えたら、しごく真っ当な判断です。運転できないことで仕事に就けない場合もあるかも知れません。しかし、何らかのハンデで、できる仕事が制限されるなんてことは他にもいくらでもあります。てんかん患者だって人を殺すことを望んでいるわけではないはずですし、もちろん運転している本人の身も危険です。彼ら自身を守るためにも運転をさせるべきではありません。すぐに道交法の改正を望みます。



twitterでもつぶやいています@kanjikurita

gooブログでも読めます「幹事クリタのコーカイブログ」