幹事クリタのコーカイ日誌2012

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1月16日 ● 虚実のバランスを考えた『平清盛』。

 面白いドラマというのは、虚実入り混じるというか、フィクションとして楽しめる部分とリアリティを感じられる部分のバランスが良くとれているものです。たとえそれが嘘テンコ盛りのスペースオペラやファンタジーであっても、人間心理の描写にリアリティが感じられたり、逆に重厚な社会派ドラマであってもドラマを盛り上げるためのご都合主義があった方がドラマとしては楽しめます。

 大河ドラマ『平清盛』の第2回を見ていて思ったのは、このドラマの作り手もそのバランスを考えながらギリギリの綱渡りをしているんだろうなと言うこと。昨年の『江』の失敗はリアリティを損なっても理解しやすいようにしようとして、そのバランスを崩し単なるアホドラマになってしまいました。

 今年の『平清盛』も当然「そんなわけあるか!」と突っ込みたくなるシーンがやたらと出てきます。しかし、それでも見ていられるのは「そこはドラマとしてのお約束だな」と視聴者が許容できるところで止めているから。白河法皇の誰とでも会って直接話をするような「気さくさ」は本来あり得ませんが、そこをリアルに再現していたらドラマとしてはテンポが生まれず面倒くさくてかないません。初回の平忠盛の海賊船で暴れる無双ぶりもドラマの演出というレベルです。さすがに源義朝が木に登って清盛の舞を見ているというのは「ん?」と思いましたが、何とかライバルである義朝の登場を印象づけようという演出上の工夫でしょう。

 当然、阿部サダヲや佐藤二朗ら平安末期の公家が全然公家らしくないのも、わかりやすさ優先だろうと思いますが、彼らが民放ドラマのそのままの雰囲気で作りすぎないで演じているのは、ドラマ好きとしては楽しいところです。どうしてもヅラを被ると誰が誰だかわからなくなることが多いのですが、三上博も壇れいも和久井映見も小日向文世も玉木宏も藤本隆宏も豊原功輔も中村梅雀もすぐにわかります。現代劇を見ているくらい俳優が誰かわかりやすいメイクというのも、親しみやすくするための演出の一貫なのでしょう。

 大河ドラマを見慣れていない人、歴史に疎い人にもわかりやすく馴染みやすくする工夫と、従来のコアな大河ドラマファンを両方満足させるのは難しいことですが、『平清盛』はそのバランスを何とか取ろうと工夫していることは確かなようです。もう少し先を見てみたいと思いました。



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