幹事クリタのコーカイ日誌2011

[ 前日翌日最新今月 ]


 
11月25日 ● 談志で一番思い出すこと。

 立川談志が亡くなりました。75才。うちの母と同い年です。そうか、談志ももうそんな年になっていたのかと思いました。いつまでも尖っていて身勝手で気難しくて変わり者で、老成という言葉から一番遠いタイプだったのに。

 談志の功績とか人となりとか落語とかについては、いろいろなところで語られているので敢えて書く必要もないと思います。僕がまだ大学生の頃は志ん朝、円楽、小金治らと並び称されていましたが、その中でも談志は「奇才」「風雲児」という言葉が似合う異端の落語家であり、それが若者から見てカッコイイところでした。

 さらに昔。僕がまだ中学2年生の1975年。談志はタレント議員でした。そして沖縄開発庁の政務次官になったにも関わらずわずか1ヶ月で辞任。タレント議員のくせに変わった奴だなと思いました。当時中日新聞の夕刊に読者投稿の一言ネタコラムがあり、僕は「ダンシ一生の仕事にあらず〜立川談志」というネタを投稿して掲載され薄謝をもらいました。14才としてはオッサンくさいことを趣味としていたものですが、まあ長じてコピーライターになったのですから、当時からそういうことを考えるのが好きだったみたいです。

 何回かそうしてネタが掲載された新聞は切り抜いて取っておいたはずですが、今はどこにあるのか皆目見当がつきません。多分引っ越した時に何かに紛れて捨ててしまったのかも。今ならスキャンしてデータとして保存しておくんですが、当時は切り抜いてスクラップにするくらいしか保存手段がなかったですから。

 ともあれ、談志に関する思い出として個人的に一番なのは「政務次官辞任」なのです。談志にしてみれば「そんなこと覚えてんじゃないよ」と言いたくなるかも知れませんが。ご冥福をお祈りします。




twitterでもつぶやいています@kanjikurita

gooブログでも読めます「幹事クリタのコーカイブログ」