幹事クリタのコーカイ日誌2011

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7月31日 ● ネットで文章を書くのに向かない人たち。

 この「コーカイ日誌」を書き始めた15年前は、一般人が広く世の中に自分の意見や気持ちを表現する手段は、新聞や雑誌の読者欄に投稿するくらいで、そんな人はごくごく限られていました。しかし今やブログ、ツイッター、フェイスブックなどを通じて様々な人が様々なことを世の中に発表しています。それは発表というよりも「垂れ流している」と言った方が近いほどのボリュームです。

 僕の友人知人でもかなり多くの人がブログかツイッターかフェイスブックを利用しています。そこで表現されている内容も本当に種々雑多で、社会的な出来事に対して意見を表明している人もいれば、日常の出来事を綴っている人もいるし、他人に読ませてどうするんだと思うような自分にしかわからないことを呟いている人もいます。

 もちろん誰が何を書いても良いのですが、愚痴や不満しか書かない人はやはり読んでいて疲れます。そういう人は「読み手」を意識していないので、本人を知らなければ読む気にもなれませんが、知っていれば「何をそう暗くなっているんだろう?」とわからないなりに心配になったりします。もしくは「この人ってこんなに暗いところがあったのか」と、ちょっと引いてしまったり。

 逆に「読み手」を意識し自分を飾り過ぎじゃないかと思う人もいます。書いてあることは嘘ではないかも知れませんが、かなり一面的と言うか、建前ばかりで本音を隠している感じがプンプンします。とりわけハッピーなこと(と言うか自慢話)ばかり書いている人は、本人を知っているだけにそんなに無理して幸せなフリばかりしなくてもと思います。

 もしくは露悪的と言うか、書かなくても良いことをつらつらと書く人もいます。時々「炎上」するような飲酒運転とかカンニングとか万引きとかをまるで武勇伝のように披露する人が典型ですが、それ以外にも自分の性生活に関することをやたらと書く人も似た匂いがします。

 誰が何を書いても良いとは言え、こうした「もう少し抑制したら」とか、「あまり書くことに向いていないのでは」と思う知人の「痛い」文章を見かけると、これだけ一気にソーシャルメディアが広まった弊害というか歪みかもと思います。知人でなければそこまで気にはなりませんが、やはりせめて基本的なマナーというか作法くらいは覚えておいた方が良いし、これからは子どものうちに学校できちんと教えた方が良いでしょう。まあ落ちをつけたり、受けを狙う必要まではありませんが。




twitterでもつぶやいています@kanjikurita

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