幹事クリタのコーカイ日誌2011

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7月10日 ● 50才になって衰えてきたこと。

 50才になると元気なつもりでも体のあちらこちらがオンボロになってきていることにイヤでも気付かされます。俗に「ハ・メ・マラ」と言いますが、歯は生まれついて丈夫なのでさほどまだ問題を感じていませんが、目に関しては逆に生まれついてダメ(駄目?)なので、ますます最近いろいろ支障をきたすことだらけです。

 近視は相当に強く、乱視もめちゃくちゃ強く、さらに斜位が年を重ねるごとに酷くなってきて、最近は焦点をひとつに合わせるのに意思の力が必要。つまり普段はボーっと2つの画像を見ている感じ。PCの前では片目を閉じています。テニスをしていても動体視力も深視力も落ちてきているので、ボールに目がついていきません。暗いところでは本当に見えないし、さらに強度近視なのであまり感じていなかった老眼も最近はさすがにちょっと感じるようになりました。

 スマホで細かい文字が並ぶと読みにくいので読む気が失せます。結局せっかくスマホがあるのに、ツイッターもフェイスブックもPCで読んでいるので、全然今までと変わりません。新聞や文庫本はまだ何とか読めますが、地図の細かい文字が厳しくなってきました。地図を読みまくる男だったのでナビ要らずと自慢していたのに、文字通りに地図が読めなくなってきて「ナビの方が楽かも」と思い始めています。

 「マラ」についての詳しい言及は避けますが、まあ若い頃に比べたらそりゃハッキリと能力は衰えています。と言うか、多分今くらいの方が煩悩が少なくて楽かも。それ以外にも瞬発力の衰えや回復力の衰え、アルコールに弱くなったこと、髪だけではなく髭も随分白くなってきたこと、肌の張りがさすがに年相応になくなってきたことなど、これが「年を取る」ということかと思います。

 体が加齢による変化をはっきりと感じ取っている割に、頭の中身の方はまだそれほど衰えを感じないのは自分でも意外でした。若い頃は失礼なことに50才の人なんてボケ始めているんじゃないかと思っていたくらいですが、別に物忘れが激しくなったわけでもないし、会話の反応が悪くなったわけでもありません。クイズ番組を見ていてもすぐに解答が出てくるし、記憶力、計算力、思考能力などにも衰えは感じません。新しいものに対する好奇心もあります。

 ただクリエーティブな創造力については、若い頃ほど自由に発想できなくなってきたのは感じます。と言うのも、大抵のことは「これは以前にあったな」とか思ってしまうからです。逆に言えば、発想の豊かさとか自由さというのは、どうもそれを邪魔する経験とか知識がないからこそ生まれるのかも知れません。前例を知っているというのは、お役所のような職場なら良いのでしょうが、クリエーティブな世界では足を引っぱることもあるんだなぁと最近思っています。

 まあ50才ですから、仕事はどんどん若い人たちに任せて、自分は残り短い人生をどう楽しく生きるかを考えていきたいです。どんなことでも終わりはあります。だから、終わるまでをしっかりと楽しむことこそ大事だと思います。




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