幹事クリタのコーカイ日誌2011

[ 前日翌日最新今月 ]


 
6月3日 ● 国難も政局化する残念な政治家たち。

 菅内閣に対する不信任案が否決されました。そのこと自体は良かったと思います。もし賛成多数で解散総選挙となっても、多くの人が避難所で生活をしている被災地ではとても選挙なんかできないことは自明です。そもそも血税を使って選挙なんかやっている暇があったら、少しでも金とエネルギーを被災地に向けるべきでしょう。原発だってまだまだ予断を許さない状況であることに変わりはないのに、政治的空白を作るべきではありません。

 また内閣総辞職となっても同じこと。与党の中に受け皿もないのに総辞職されても混迷は深まるばかりです。素人が考えたってわかることを、どうして不信任案を提出した自民、公明両党やそれに賛成した民主党内の反主流派はわからないのでしょう?

 確かに菅内閣に任せておけないという気分は日本中に充満していますが、だからと言って「いま」は政権争いをしている場合ではありません。野党はともかく、与党内にありながら不信任案に賛成した議員たちは、まず離党をしてから賛成票を投じるの筋でしょう。震災を単なる党内抗争の具として使った彼らの罪は重いし、それを利用しようとしたセコイ自民党も同罪だと思います。

 かと言って、菅総理の態度も誉められたものではありません。特に辞意を表明したのは意味がわかりません。辞意を表明したのならさっさと退陣すべきです。辞めるとわかっているトップに国政を預けてはおけませんし、外国との交渉も差し障りがあるでしょう。誰が「死に体」の政権とまともに話をするというのか?政治センスがあるとかないとか以前の問題です。

 「もう少ししたら辞めるから、それまでは総理でいさせてくれ」と言う理屈は、子どもが宿題をやらない言い逃れをしているのと同じです。「もうこの面だけクリアしたらゲームやめて勉強するから」と言っているようなもの。これが一国のリーダーの言い草かと思うと情けなくて涙が出ます。

 震災が起こる前から「菅は総理になりたかっただけで、総理になったら何がしたいかというビジョンがない」と批判されてきました。平時はそれでも何とか誤魔化せていましたが、この国難というべき非常時には全く相応しくないリーダーであることが露呈してしまいました。不信任案が否決されてホッとしたものの、辞意を表明しながら居座る総理があまりにも残念という、誠にアンビバレンツな状況です。




twitterでもつぶやいています@kanjikurita

gooブログでも読めます「幹事クリタのコーカイブログ」