幹事クリタのコーカイ日誌2011

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4月8日 ● 文句を言えば改善される、という思い込み。

 昨日、東京電力のことを書きましたが、それは東電を始めとする一流企業の人事採用のあり方についてちょっと思ったところを書いただけで、東電の社員個々について批判を書いたつもりではありません。と言うのも、ツイッターで「東電の社員の子どもをボイコットしろ」などという、とんでもない見当違いの酷いツイートがあり、さらにネット上ではそれに賛同するような書き込みがあったそうで、そういうバカなことを言う輩とは断じて違うということを、ここにはっきり書いておきます。

 そもそも僕は今回の震災において、政府や東電をことあるごとに強く非難している人たちに対して違和感を感じています。確かに、後手後手に回った対応もあるでしょうし、そもそも有事への備えができていないところもあったでしょう。しかし、それをもってしてこの非常時に手厳しい非難をして、それが何か役に立ったりするのでしょうか?それは単に水に落ちて必死に足掻いている犬に石を投げつけているだけの行為にしか思えません。

 政府も東電も至らない点があったとしても、かつてなかった規模の大震災です。完璧な対応ができるはずもありません。それでも最前線で対応に奔走している人たちは当事者として頑張って働いているのです。そうやって必死になっている人たちを後方から応援することで、被災された人たちもより早く、より多く救われるはずです。最前線で踏ん張っている人を、安全な場所にいて後ろから刺すような言動を繰り返すことは、彼らに余計な負担と心労をかけるだけで誰も救われません。足を引っ張っているだけだとなぜ気づかないのでしょう?

 こうしたことを言う人たちは、いつでも誰にでも同じような非難や文句をぶつけます。医療事故が起これば医者を、警察の腐敗があれば警察官を、いじめがあれば教師を、八百長があれば力士を。他にもそれが時と場合によっては官僚だったり、検察官だったり、記者であったり、自衛官であったりしますが、とにかく何か事件が起きるたびに、いや事件というほどのものでもないちょっとした気に入らないことがあるたびに、彼らはその組織に関わる全ての人間を非難してやみません。今回はそのターゲットが東電の社員だったというだけです。

 しかし、そうして個々の医者や警察官や教師をまとめて全てダメ人間のように断罪して、果たして何が残るというのでしょう?あしざまに非難することで、その組織をどこかの誰かが見事に立て直して素晴らしい組織に生まれ変わらせるとでも思っているのでしょうか?もしくは悪の親玉を排除すれば全てが解決するとでも考えているのでしょうか?そんなわけはありません。全ての組織を運営しているのはヒーローでもスーパーマンでもなく、ただの普通の人間です。ほとんどの人は真面目に働いている、どこにでもいる一般人です。そんな人たちは的外れな文句を言われれば反発を感じるだけで、積極的に変えていこうという気持ちにはならないでしょう。文句を言えば改善されるというのは単なる幻想です。お母さんにダダをこねている子どもと変わりありません。改善していくには地道な努力と、可能性のある提言が必要です。そしてそれを言うタイミングとやり方というものがあります。

 安全なところにいて気に入らないことに非難や文句を言うのは簡単です。しかし、それは無責任な悪口に過ぎないし、その言葉は決して世の中を良い方向に変えていくものではないということも理解しておいた方が良いでしょう。無責任な悪口でサッと世の中が変わるほど単純にはできていません。まあほとんどは単にストレス解消で言っているだけなんだから、実効がなくても構わないのでしょうけど。




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