幹事クリタのコーカイ日誌2011

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3月15日 ● 河村たかしは震災に負けた。

 震災で日本中が大揺れしている間に、名古屋市の出直し市議選が行われました。震災前と震災後では全く違った時代になってしまったかのような感覚がある中だっただけに、かなり市議選も間の抜けたものになり、投票率も低迷しました。

 結果は河村たかし率いる「減税日本」が28議席を得て第1党に躍進し、解散前に27議席だった民主党が11議席で公明党をも下回り第4党へと転落。自民党、公明党、共産党の各党も議席を減らしましたが、何とか踏みとどまったというところです。

 新聞の報道(なにせテレビは震災以外の報道をしないので)では、河村たかしが勝利したかのように書かれていましたが、僕はこの結果はむしろ河村の敗北であると思っています。確かに第1党にはなりました。しかし目標は過半数を制することだったはず。それには遠く及びません。少数与党のままでは結局今までと同じで議会は「反河村」ですから、解散も出直し選挙も無意味だったことになってしまいました。

 もし投票日の前々日に震災がなかったら、この結果が変わっていたのでしょうか?あくまでもここから先は推測に過ぎませんが、僕は震災が投票行動に大きな影響を与えたことは間違いないと思います。まず第一に投票率が伸びなかったのがもっとも大きな影響で、その分だけ固定票を持つ公明・共産両党には有利に働きました。公明党は擁立した12人全員が当選です。逆に風が吹くことを期待した減税日本には逆風まではいかなくても強い順風にはなりませんでした。初議席を目指したみんなの党は全滅です。震災で投票どころではないと思った人が多く、固定票を持たない政党には厳しい結果となりました。

 また「減税日本」というネーミングも震災前と後では印象が全然変わってしまいました。あの悲惨な震災の後で「減税」というキーワードが響くとは思えません。いま人々の心は未曾有の危機に際してヒューマニズムに満ちあふれ、自分たちに何かできることはないかという気分になっています。一番手軽で確実なことはお金を出すこと。そんな空気の中で「減税」を言うのはむしろマイナスでしょう。震災を目の当たりにして「もはや減税ではない」という空気に変わったことは確かです。

 震災がなければ河村たかしはもっと勝っていたと思います。過半数は届かなかったかも知れませんが、あと10議席近く伸ばしてほぼ拮抗したところまでは持っていけてたかも。河村たかしは震災に敗れました。震災は名古屋市民の奇妙な熱狂を醒まさせて、冷静さを取り戻させたと考えることもできそうです。しかし、その結果残されたのは名古屋市政のさらなる混乱だけです。




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