幹事クリタのコーカイ日誌2011

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3月5日 ● カンニング防止とコスト。

 昨日、カンニング事件について、未成年者を単なるカンニングで「逮捕」するとか、犯人を追い詰めるようなマスコミの執拗な報道とかはやり過ぎだと書いたのですが、今度は一転して犯人を擁護し「カンニングを許した大学がいけない」という論調が目立ってきています。これもまたおかしな話です。

 カンニング事件で一番悪いのは当然カンニングをした本人であり、カンニングされた大学側は被害者です。「カンニングされる方が悪い」という意見は、「レイプされる女が悪い」という意見と同じです。「隙があるから被害を受けるんだ」なんてことを堂々と言うのは、少し頭が悪いことを自ら吐露しているようなものです。

 大学は試験を行うのに当たって運営責任は負うことでしょう。だから運営を円滑に行うために試験監督を置きます。しかし、そこには前提として「カンニングはしない」というルールも存在しています。最初から「受験生はカンニングするものだ」という前提に立っていたら、試験を行うのに大変なコストがかかります。受験生1人1人の行動を逐一チェックするために大量の人員の投入と監視カメラのようなハードウエアの設置が必要になります。当然その費用は受験生が負担することになり、受験料が高騰します。大学受験1回につき受験料10万円なんてことになるかも知れません。受験生にそんな負担は強いられないというのなら、税金が投入されます。結局誰かがその費用を負担することには変わりありません。

 こんなことはバカバカしいので、「カンニングはしない」ということにしておけば、大学も受験生も余計な費用をかけずに済みハッピーです。国家間の軍縮の論理と同じです。お互いに戦争をしないということを約束して、無駄な軍事費を削減して国民生活の充実に予算を回す。戦争で儲かるのは軍事産業だけです。平和を維持するのに軍事費に頼るよりも、信用に頼る方がコストパフォーマンスが良いということです。

 カンニングを防止するには、受験生を信用しないで監視の目を厳しくするよりも、教育によって「カンニングをしない」モラルを徹底させた方が安上がりで効果的です。それと付け加えるなら、カンニングで不正に入学しても、実力が足りない時は落ちこぼれてついていけないというシステムをきちんと構築することでしょう。なにせ日本の大学というのは、入ってしまえばところてん式に押し出してくれるところです。だから不正をしてでも入学しようということになります。同じコストをかけるなら、受験生の監視強化よりも、入学した学生の教育の徹底をする方がはるかに大学にとっても学生にとっても意味があるはずです。

 もっとも大学生にもっと勉強させようなんて議論は、ずっと昔からあるんですが、なかなか実現していません。それはこれまで日本の会社が大学教育を当てにしていない(社員教育を改めて会社でやり直す)という事情もあったからで、これからは会社も一緒になって高等教育とか実務教育のあり方、また採用の基準などを考えて変えていかないと、多分大学だけの力では難しいんだろうと思います。




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