幹事クリタのコーカイ日誌2011

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2月10日 ● 「若い」は本当に誉め言葉か?

 昨日の誕生日ネタの続きになりますが、50才になったと言うと、一様にみんな「若いですね」「そんな年だとは思いませんでした」ということを言ってくれます。当然お世辞が入っているわけですが、では「若い」ということがお世辞になるというのはどういうことかと言えば、「若い」=「良いこと」という固定観念があるからです。

 以前にも書きましたが、僕は若い頃は随分と老けて見られました。大学の入学式で大学院の入学式と言われ、新入社員の頃に30才だと思われ、30才の頃には38才とまで言われたことがあります。常にかなり年上に見られてきたので、もう慣れっこになっていましたし、老けて見られることで困ることはあまりなく、むしろ得をすることの方が多かったと思います。

 何より年上に見られると人が自分の言うことを聞いてくれます。まだ若造の頃でも結構年上の人に面と向かって意見するようなタイプでしたが、それが通用したのは、当時は自分の意見が正論だからだと思っていましたが、今思えば老けて見られていたからではないかと思います。若いというのはイコール軽いということで、小僧扱いされていると誰もまともに自分の言うことなど聞いてくれません。食事に行ってもショッピングでも、若いよりは老けて見られる方が店の扱いが丁寧です。僕は30代半ばくらいまでは年上に見られてきましたから、若い頃は公私ともに随分といろいろな場面で得をしたと思っています。

 30代後半から見た目に実年齢がほぼ追いつき、40代になってからは大抵「見た目より若い」と言われるようになりました。髪や髭が白くなってきたこと以外は、40才になった頃からずっと見た目はあまり変わっていないと言われます。本当はそんなことはないと自分ではわかっていますけど、他人はそこまでシビアに人の見た目を気にしていませんから、ちょっと年に似合わない言動をすると若く思ってくれるのでしょう。

 ただ最初に書いたように若く見られるということが、本当に良いことなのかどうかは実のところわかりません。精神的な柔軟性とか旺盛な好奇心とかチャレンジ精神とか、そういう部分で若いと評価されるなら良いのですが、単にチャラチャラとしていて軽薄そうという意味での若さならあまり嬉しくありません。若さっていろいろな尺度がありますから、若いと言われていい気になっていると恥をかきそうです。

 少なくとも男にとっては、年相応に重みがある方が良いような気がします。




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