幹事クリタのコーカイ日誌2011

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1月14日 ● スポーツ界は実力最優先ではあるけれど。

 スポーツ界における実力主義というのは恐らく全世界全種目共通なのではないかと思います。もちろん程度の差、濃淡の差はあることでしょうが、基本的にはスポーツにおいては強い奴、うまい奴が優遇されて威張っていて、弱い奴、下手な奴の立場は弱く発言力もない。年齢とか資産とかルックスとかコミュニケーション能力といった、一般社会では強いカードになるべきものが、スポーツ界では実力よりも下位におかれるわけです。

 典型的な例が大相撲の世界で、番付の上下が全て。相手が大学の先輩であろうが兄弟子であろうが、地位で追い越してしまえば勝ち。横綱になってしまえば全力士が道を空けてくれるのです。朝青龍はそれを少し勘違いして暴走してしまったのかも知れませんが。サッカーでかつて若き川口能活や中田英寿が年長の選手を呼び捨てにしながら指示を飛ばしていたのだって同じ。相撲の番付のような明確な指標はないものの、やはりリーダーシップを取るべき実力者だと周りが認めているからこそ許されたことです。

 我々のテニスサークルのようなアマチュアのお楽しみレベルだって、その空気はもちろんあります。テニスをしている仲間同士では、やはりテニスが強い人間が一目置かれて優遇されます。その人よりも年齢もずっと上、社会的地位も上、お金も持っていて、人格的に優れていても、テニスで劣っていればやはり軽んじられてしまいますし、お互いにそれは「ある程度」までは了解済みです。

 ただアマチュアの場合に難しいのは、プロと違ってテニスだけが全てではないこと。むしろテニスコートという環境こそが特殊であって、一歩外に出ればテニスの上手い下手など逆にどうでも良い取るに足らないことになります。これは「ビジネススポーツ」であるゴルフの方がより明瞭でしょう。社会的立場とゴルフの技量の巧拙はシンクロしませんから、「接待ゴルフ」の難しさもそこにあります。

 テニスで特徴的なのは、社会的にうまくいってないがゆえにテニスが妙に強いのではないかと思われる人がいること。社会の下層にいて苦しんでいる自分の鬱屈をテニスコートで晴らしているようなタイプです。コンプレックスをバネにしてテニスをしているので、そういう人はしばしばテニスはイマイチだけど社会的に成功している人をなんだかんだとバカにしたり威張ったりします。

 シャレで言っているうちは良いのですが、度を超すとテニスが巧いだけなのにそれを鼻にかけているようで見苦しくなりますし不快です。過去にうちのサークルにもそういう上級者がいましたが、最後は辞めてもらいました。「たかが」テニスです。自分の人生の不遇さの敵討ちを、そんなところでしてはいけません。




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