幹事クリタのコーカイ日誌2010

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10月5日 ● 悟ったら人生終わりな気がする。

 「人間五十年」と織田信長は常々言っていて、実際享年49(満48才)で本能寺で散りました。僕もいま49才と7ヶ月。織田信長よりも長生きしてしまい、何だか時々ふっと人生を悟ったような気分になることがあります。具体的に何をどうというわけではなく、でも「ああ、人生ってこういうものなんだよな」と一瞬お釈迦様にでもなったような平穏な気分になるのです。

 もちろん本当に悟ったわけではなく、そういう心持ちになるだけなんですが、僕はこの気分を危険なものだと思っています。と言うのも、この気分に入ると「もういつ死んでもいいや」と思うからです。もう人生を満喫した、十分生きた、この上は余生なんだから死んでも悔いはない、という気分なのです。本当に悟りを開いてそう思っているのならともかく、これは「エセ悟り」なので、そんな気分だけで生きているとロクなことにはなりません。

 僕は人生を楽しむのは「悟り」ではなくむしろ正反対の「欲」ではないかと思っています。「まだまだ」と思っていろいろ望んでチャレンジしたりすることが、人生を楽しむことにつながるので、「もう満足した」なんて思ってしまって活動停止したら、それは生きていても死んでいるのと同じのような気がします。

 もちろん「まだまだ」がプレッシャーになってそこに縛られてしまうと、それはそれで苦しむことになります。いわゆる煩悩となって人を苦しめるのですが、上手に生きている人を見ていると、そこをうまくくぐり抜けながら、自らの欲を満たしているように思えるのです。

 テニスを30年やっていても依然として楽しめるのも「まだまだ」と思っているからです。自分のテニスに満足してこれ以上はうまくならないや、と悟ってしまったらもう楽しくありません。まだ「のびしろ」があると思えるからこそ、スクールに通ったりプロに打ってもらったりして上達する楽しみを見出せるのです。

 まあこんなことを言っているのも、実はまだ「悟り」を全然理解していないからかも知れませんけどね。本当に悟ったら欲なんかなくても人生を謳歌できるのなら、それはそれで悟るのも悪くはないと思いますが。



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