幹事クリタのコーカイ日誌2010

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8月25日 ● 徒労感が心を折る。

 人間誰しも苦労するのは好きではありませんが、それでも報われる苦労なら達成感もあります。苦労したのに何にも良いことがないとか、無駄骨に終わったというのはガッカリして疲れも倍加します。この「徒労感」という奴は、単なる肉体的疲労以上に自分の心を蝕むのでよくありません。

 仕事で感じる徒労感はまだマシです。と言うのも、仕事はつまるところお金のためにやっているわけですから、お金さえ貰えれば後はどれほど残念な結果になろうとも完全に徒労に終わったということはありません。もちろん、お金にもならずにタダ働きさせられて、結局それが無駄になったりしたら半端じゃない徒労感を感じますけどね。

 ただ仕事はそういう性質のものだと僕は思っているので、過度の期待をしていません。むしろ徒労感を強く感じるのはプライベートでのボランティア的活動です。お金を貰わずに人のために動くという場合、期待している報酬は「相手の喜ぶ顔」「感謝の言葉」「役立ったという自己満足」です。僕の場合はテニスサークルや学校の同窓会の幹事の仕事が、まさにそれにあたります。

 ところがしばしば人は幹事がボランティアであることを忘れます。まるでお金を貰って働いているサービス業の人と勘違いしているかのように、さまざまな要望やワガママ、無茶を押しつけてきます。特に「ダメでもともと」という感覚でいろいろ要求されるのは本当に困ります。こちらは善意でやっている以上、相手の要求にはなるべく応えたいと思いますが、できることとできないことがありますし、できることでもかなり無理しないと難しいこともあります。その無理をさせておいて、実は「どっちでも良かった」なんてことを言われたら本当に切れそうになりますよ。

 「だめもと」「言うだけタダ」のさもしい精神を無償で働くボランティア相手に発揮することがいかに人間として下品なことか、そういう人は自覚していません。その行為が、どんどんボランティアの心をへし折って、最後はやめさせてしまうのに気づいてもいません。たとえお金を払った相手であっても、自分のためにサービスを提供してもらったら心を込めて「ありがとう」と言うべきです。まして無償で働く人に対しては、なるべくその人が働きやすいように気を遣うことと、感謝の気持ちをしっかりと示すのが当然です。じゃないと、結局人が去っていき自分にとってもマイナスにしかなりません。「徒労感」を甘く見ない方が良いと思います。



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