幹事クリタのコーカイ日誌2010

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4月17日 ● 北川悦吏子の失敗。

 昨日のドラマ『素直になれなくて』の話の続きですが、ツイッターではドラマ自体の評価よりも脚本家の北川悦吏子のツイートの方が話題になってしまっています。詳しくはネット上で探してもらえればまとめブログが見つかると思いますが、要は彼女がツイッターをよく知らないままにツイッターを題材にしたドラマを書いて、それを批判されたら開き直って暴言を吐いた、ということです。

 ツイッター知ってることがそんなにエライのか、というような発言を繰り返した挙げ句にそのツイートを削除し、さらに「どんなに批判されても私には支えてくれるスタッフがいるから大丈夫」と批判を無視。調べもしないで書いて開き直り、マズイと思ったらさっさと削除して逃亡、さらに批判はスルーすると宣言するのは、正直かなりイタい感じがします。彼女はネット社会というものが全然わかってないでやっているなぁという印象でした。

 まあ彼女がどれほど痛々しいキャラになろうとも基本的にはどうでも良いことなのですが、残念なのはドラマのせいでツイッター自体のイメージが知らない人たちに対して悪くなったことでしょう。素性を隠して会い、すぐにホテルに行こうとする出会いサイトのようなツール、それがツイッター。ドラマの中でのツイッターの扱いは完全に偏見と誤謬に満ちていました。ツイッターを知らない人たちから「あんなものをやっているのか」と白い目で見られたという話が一気に噴出しましたが、それも無理ありません。

 僕にはこのツイッターの描かれ方は1990年頃のパソコン通信とかぶりました。ハンドルネームで呼び合い、すぐにオフ会を開き、素性を誤魔化して、みんな何かしら後ろめたい部分を持っている。当時のパソコン通信界に生息していたうまく社会に適応できていない人たちのイメージを極端に拡大化したような感じです。

 北川が描きたかったのは若者の恋愛であってツイッターそのものではない、という擁護論もわかりますが、でもツイッターを題材にした以上はなるべく正確にその姿を描くべきです。野球を舞台にしただけで本道は恋愛ドラマだと言っても、いきなり三塁に向かってランナーが走り出したり、ホームランで5点入ったりはしません。そういうところにいい加減な間違いがあると、ドラマ全体が嘘臭くなってしまいます。「神は細部に宿る」のは建築だけではなく創作全てにわたって言えることです。

 取材もしないで「ひとりひとりツイッターへの関わり方はさまざまだから」という強弁をして間違ったツイッター像を描くのは怠惰と不遜というものです。しかもツイッター上では話題になっていても、初回の視聴率は11%台。一般の人には見向きもされていません。豪華キャストを考えたらこの数字は完全に失敗でしょう。ドラマの内容よりも脚本家の暴言ばかりが話題になるようでは、2回目以降の視聴率はさらに厳しそうです。



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