幹事クリタのコーカイ日誌2010

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2月9日 ● 田原俊彦は80年代のアイコンだった。

 昨日の誕生日にはメールでもツイッターでも多くの人からお祝いのメッセージをいただきました。50才手前のオヤジの癖に「誕生日おめでとう」もないだろう、という身も蓋もないメッセージがくるかと思っていたら、意外に皆さんお優しくて、僕の人間関係は「優しさからできていたのか」と改めて感謝したい気持ちです。

 ところで昨晩「Hey!Hey!Hey!」を見ていたら、ちょっとだけ田原俊彦が映りました。と言っても過去の名曲のシーンを流しているだけなので本人が登場したわけではないのですが、出てきたのが「ピエロ」のワンシーン。「哀愁でいと」でも「抱きしめてTONIGHT」でもなく「ピエロ」なんですが、そのポップで華やかなイメージは「あー、これこそが80年代だなぁ」と実感するには十分でした。

 そう、“トシちゃん”は1980年代のまさにアイコンだと僕は思っています。暗くて情念に溢れた70年代から一気に軽くて明るくて弾けていた80年代へと時代が転換した時に、ポンっという感じで飛び出てきた彼は今までにないタイプのアイドルでした。

 曲はポップでダンサブル。いつも屈託のない笑顔、どう解釈しても上手いとは言えない歌唱、そして「振り付け」ではないダンス。日本の歌謡界にはいなかった新しいスタイルの創出をしたのがトシちゃんであり、彼の成功が後に続くジャニーズを筆頭としたアイドル市場に活気をもたらしました。

 トシちゃんは明らかにマイケル・ジャクソンの影響下にありました。かつてのジャクソン5がフィンガー5を生んだように、青年になったMJは今度は田原俊彦を生んだのです。そしてトシちゃんはバブルに向かって一直線に坂を駆け上がっていく80年代の日本を象徴するだけの時代性がありました。

 田原俊彦はジャニーズ事務所を辞めて以来、すっかり干されてしまったのかロクな仕事をさせてもらっていませんが、それでもその革新性をもっと評価しても良いのではないかと思います。それだけの影響力を持ったスターだったのですから。

 ところでなぜ誕生日の話から一転トシちゃんの話題になったかと言えば、実は彼と僕は誕生日が20日しか違わないのです。同じ年なので、デビュー直後から親近感を持って見ていました。僕が50才にリーチがかかったということは、20日後にはトシちゃんも50才へリーチです。思えば遠くへ来たものです。


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