幹事クリタのコーカイ日誌2009

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11月19日 ● 外国人力士がいなかったら魁皇は横綱だった。

 九州場所3日目に今場所史上1位の幕内在位98場所に到達した大関・魁皇が関脇・把瑠都を破り、幕内通算800勝を達成しました。これは千代の富士、北の湖という昭和の大横綱に次ぐ史上3人目の快挙。そしてあと7勝で史上最多の千代の富士に追いつくことになります。

 先輩の両横綱の優勝回数が31回、24回なのに比べて魁皇は5回。もちろん大関としては立派な数字ですが、800勝を挙げた力士としては物足りません。ただ千代の富士、北の湖の時代には今のようなモンゴル人力士はおらず、わずかにハワイからやってきた小錦や高見山がいただけ。ほぼ日本人だけで争っていた時代と、国際化が進んだ魁皇の時代とでは同列に論ずるのは難しいかと思います。

 もし外国人力士がいなかったら、もしくは1人くらいだったら、魁皇は間違いなく横綱になっていたことでしょう。魁皇は若貴兄弟、曙と同期です。魁皇の前にはこの曙と武蔵丸という2人のハワイ出身力士が立ちはだかっていました。そして彼らが消えていくのと前後して、今度は朝青龍が頭角を現し、さらに琴欧州、白鵬、日馬富士と続々と魁皇の地位を脅かし続けてきました。

 もしいま外国人力士を番付から消したらどうなるか?上から琴光喜、魁皇、千代大海、稀勢の里、豪栄道となります。つまり魁皇は西の横綱です。いま小結の稀勢の里、豪栄道だってとっくに大関に昇進していることでしょう。ちなみに外国人力士のトップ5は朝青龍、白鵬、琴欧州、日馬富士、把瑠都。西関脇の鶴竜が6番手になるのですから、外国人力士の強さがよくわかります。もし剣道や柔道のように5対5の団体戦を日本人vs外国人でやってみたら、日本人全敗の危機です。

 と言うことで、外国人力士がいない時代だったら、魁皇も優勝回数を軽く2桁、もしかしたら20回くらいは達成していたかも知れません。ただ逆に横綱になっていたら、ここまで長く相撲を取っていなかっただろうということも考えられます。大関の地位にとどまっていたからこそ、8勝、9勝どまりでも、時には負け越しても、そのままとり続けてこられたわけで、横綱だったらとっくに引退でしょう。もっとも外国人力士がいなかったら8勝とか9勝ではなく11〜12勝はできているわけですから、やはりどうなっていたかはわかりませんけどね。

 いずれにしても魁皇が今場所中に千代の富士の807勝に追いつけるかどうか、優勝争いよりも話題になりそうです。それだけ相撲ファンは日本人力士の活躍に飢えているんでしょうね。