幹事クリタのコーカイ日誌2009

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11月13日 ● 天皇即位20周年に考えた。

 「天皇即位20周年」と聞いて、小渕官房長官が「平成」の額を掲げてからもうそんなに経つのかと思わず懐かしく振り返りそうになりましたが、確かそれは1月のこと。なんで11月にと思ったら、1990年11月12日の即位の礼から20年ということだったんですね。まあそんな細かいことはどうでも良くて、とにかく今の天皇が即位してから20年経ったと。早いもんだな〜というのが大方の大人の感想でしょう。

 僕は過去に何回も書いているように、この時代にまだ世の中に血統だけの「王様」がいることに強い違和感を抱いています。それって逆差別でしょう、と思っています。王様を認めることは、血統による貴賤を認めることに他なりません。しかも、皇族には基本的人権が認められていません(参政権もないし表現の自由も職業選択の自由も居住の自由もない)。彼らが人格的に素晴らしい人たちだと感じるだけに、それに甘えていつまでもこの国のために彼らの人生を縛り付けておいて良いのかと思っています。

 まあそれとは別に、日本に限らず今どき王室をまだ維持している国というのは、貴重な文化的財産を保持しているのと同じだから、大切に保存すべきだろうという気もしています。ミクロな視点で語れば、前述のように皇族を国家から解放しろよ、と思う反面、マクロな視点で見れば、日本の皇室というのはメリットとデメリットを秤にかけて、今はメリットの方が大きいだろうとも思います。皇室の果たす役割は日本のようにコロコロと首相が変わるような国では特に外交面で大きなものが期待できるからです。

 今の天皇はこの時代の皇室のあるべき姿を守ろうと本当によく努力していると思います。昭和天皇のようなカリスマ性はありませんが、むしろ今の時代に過剰なカリスマ性は不必要です。「人間宣言」をしなくても「良い人だよなぁ」と思わせる力があります。また単なる人格者というだけではなく、よく自分の役割や影響力を考えて言動を律しています。個性が強い昭和天皇に対しての好き嫌いは国民の間で多少あったかも知れませんが、今の天皇に対して悪意を持つことは、よほど思想的に偏向していない限りは難しいでしょう。自分たちを利用するような勢力に対しても、自分たちを標的にするような勢力に対しても、付け入れられるような隙を見せずに、それでいて一般国民には裏表のない誠実な姿を見せ続けなければならないのですから、これはとても大変なことです。

 ただ、天皇がこうして超人的な努力で今の時代に相応しい天皇たらんとしているのを、今後もずっと皇族に押しつけるのかと思うと、僕は彼らの将来に対して暗い気持ちにならざるを得ません。皇太子は何とか頑張るでしょう。彼は祖父の後姿を見てきた人ですから。でも父親のように完璧にはできないかも知れません。僕と同世代(つまり新人類世代)の彼に、そこまで自分を殺すことを求めるのは難しいかもと思います。それは雅子妃を守る彼の一連の言動を見れば窺えます。

 そして、その次の世代は?悠仁親王は帝王教育を受けているのでしょうか?皇太子夫妻に男児誕生の可能性がゼロとは言えない以上、彼を次の皇太子と認定するにはまだ早いと言われることでしょうし、とは言え、いつまでも帝王教育を受けさせなければ、今の天皇のような超人的努力をすることは、さらに難しいことでしょう。自由に伸び伸び育った時間が長ければ長いほど、国家国民のために自分を殺して生きることは抵抗が大きく難しくなります。

 女性天皇問題も含めて、今後天皇制は代が変わるごとにますます維持が困難になっていくのは間違いありません。なのに、いつまでも皇族の努力だけに甘えていてはいけないと思います。天皇は日本国民統合の象徴かも知れませんが、どこかのタイミングでシンボルの座から降ろして、もっと楽な立場にさせてあげてもいいんじゃないでしょうか。いや、もちろん今すぐに、という話じゃないですし、天皇制を撤廃しろという話でもないんですけどね。今のままでは余りにも背負わせているものが大きくて皇族が辛すぎるだろうという話です。