幹事クリタのコーカイ日誌2009

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11月8日 ● 原は名監督なのか?

 巨人が見事に日本一を決めました。今年の巨人は最初から最後まで強かった。8月に中日に迫られた時も3連勝して突き放し、CSでも日本シリーズでも終始横綱相撲。東京ドーム対応型の強力打線が投手陣をカバーし、控えを含めた選手層の厚さでも他を圧倒していました。この数年の間の補強と若手選手の育成が噛み合って隙のない陣容が整っていますから、フロント(と言うかナベツネ)が余計なことをしなければ、しばらくは黄金時代が続く予感がします。

 この日本一監督である原辰徳はご存知のように今春WBCで世界一監督にもなった人です。リーグ3連覇、日本一、そして世界一と、監督としては今年絶頂を極めたと言っても良いでしょう。監督生活6年間のうちに4度のリーグ優勝、2度の日本一。これだけの実績を残した監督は日本球界でも稀です。

 ところが、実績だけなら相当の名監督であるはずの原が、どうも名監督扱いをされていない気がします。ナベツネだけではなく、マスコミからもファンからもです。「原、よくやった」という称賛の声はいくらでもありますが、落合や野村のように、もしくはちょっと前の星野、もう少し前の仰木や森、広岡、古葉、西本のように「名監督」どころか「監督の力で勝った」とすら評価されていない気がします。実におかしな話です。原以下の実績しか残していない監督たちが「名監督」と呼ばれているのに。

 これにはいくつか原因があります。まず考えられるのは、巨人の強さは監督の手腕ではなく、補強の力だと思われていること。「あれだけ選手を揃えてくれれば誰が監督をやったって勝てる」と言われてしまうからです。確かに選手を集めるのはフロントの力であり、監督はその選手をどう使うかを考えるのが仕事。野村がいつもボヤくように、ヘボばかり集めて勝てと言われても無理というものです。

 ただ、巨人は昔から選手の補強に関しては日本一です。FA導入以降は何だかんだと悪口を言われていますが、そもそも巨人軍を立ち上げた戦前から一貫して巨人は有力な選手を集め続けてきたチームです。戦力だけなら常に球界一です。それでも強い時期と弱い時期があったということは、やはりそこには監督の力量の差があったとしか考えられません。今と同じチームを堀内が率いたら、やっぱり中日の後塵を拝したのではないかと僕は思います。

 原が名監督扱いされない原因は他にもあります。それは彼が自分をアピールしない監督だからです。高校時代からずっとスターであり続けた原は、自らアピールしなくても常に主役でした。選手時代も実績の割に評価が低かったのも、アピール下手のせいもあったと思います。それが性癖となっているのでしょう。監督となった今も、決して勝利を自分の手柄とせず、また自分が前に前にと出ることもなく、常に選手やスタッフの力だと語り続けています。

 これが野村や星野だったらどうだったでしょうか?彼らは常に自分が中心です。自分を主役にして試合を、野球を語ります。自分がどう考えて、どう選手を動かしたかを語ります。原とは根本的に目線の高さが違うのです。そして、得てしてマスコミはこの手の自己アピールが上手い監督に乗せられてしまいます。だから実績以上にその監督の手腕を高く評価してしまうのです。

 原の監督としての動きは見えづらいかも知れません。しかし、チーム作り、選手起用の確かさ、コーチ陣の使い方、全て今の巨人はうまく機能しています。きちんとした方向性をチームに示して、その通りにチームを運んでいるのでしょう。マネージャーとしての優秀さが窺い知れます。「自分が、自分が」と前にしゃしゃり出ていくわけでもなく、かと言って森や古葉のように裏で何かやっているような陰性さもない、新しいタイプの「名監督」なのではないかと、僕は原のことを見ています。