幹事クリタのコーカイ日誌2009

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10月19日 ● 加藤和彦の曲が好きだった。

 加藤和彦が自殺しました。残念でなりません。日本のポップシーンを牽引した先駆的なミュージシャン。主にヒット曲を連発していたのは60〜70年代ですが、21世紀においても古びていない大きな存在感があった人でした。

 演歌が主流の昭和40年代に、カレッジフォークの旗手として登場。それまでの「労働者の歌」というイメージのフォークソングが、一気に「学生の歌」として軽く楽しく明るくなりました。フォーク・クルセダーズ時代の「帰ってきたヨッパライ」「悲しくてやりきれない」、そして解散後の「あの素晴らしい愛をもう一度」は遠足の歌集に必ず定番として入っていたものでした(「イムジン河」はさすがに入っていなかったと思います)。

 その後、サディスティック・ミカ・バンドを結成して、実験精神に溢れた先端的なロックに挑み続けるかたわら、加藤は他の歌手への楽曲提供を続けます。ベッツィ&クリス「白い色は恋人の色」、竹内まりや「不思議なピーチパイ」などのフォーク色の強い歌手だけではなく、アイドル歌手の楽曲も作りました。ただ加藤のサウンドはアイドル歌謡としては実験的で、あまり大ヒットはしませんでした。僕は岩崎良美「愛してモナムール」とか岡崎友紀「ドゥー・ユー・リメンバー・ミー」などは、いかにも加藤らしいオシャレさが光る名曲だと思っていますが。

 軽井沢の万平ホテルで自殺した加藤。僕はあそこではティーラウンジでお茶を飲んだことしかありませんが、その時はちょうどこの季節に訪れました。とてもセンチメンタルになる雰囲気のあるホテルです。ナイーブな人だったそうですから、ついあの雰囲気に飲み込まれてしまったのかも知れないと思いました。