幹事クリタのコーカイ日誌2009

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5月30日 ● 森光子は死ぬ前に国民栄誉賞もらえて良かった。

 森光子に国民栄誉賞だそうです。「放浪記」2000回公演は偉業ですし、何より死ぬ前に貰えて良かったなと思います。ただ、もちろん受賞に反対するものではありませんが、相変わらず基準が曖昧で国民の人気取りに利用しているなぁという印象は否めません。だって1月の遠藤実と言い今回の森光子と言い、低落する内閣支持率を何とか上げたい、近づく総選挙に利用できるものは何でもしたいという魂胆が見え見えだからです。

 国民栄誉賞に対する疑問点はいくつもあります。今回のように時の内閣の人気取りに利用されていること、死んでからの受賞が過半数を占めること、そして何より受賞者の選び方が曖昧でしかも偏りがあることです。

 何かの記録を達成したスポーツ選手以外で生存中に受賞したのは今回の森光子と藤山一郎だけ。死ななければ受賞できないなんて本人はちっともうれしくないですし、芸能人のように死ぬまで現役ならともかく、スポーツ選手のように引退から時間が経ちすぎて現役時代を知っている人がほとんどいない場合は受賞を逃す可能性が大です。長島茂雄はいま死ねば間違いなく国民栄誉賞を受賞するでしょうが、もし長生きしてあと30年経ったらどうでしょう?記録よりも記憶に残る選手だっただけに、記憶している人が少なくなれば評価も変わる可能性があります。

 ジャンルによって受賞しやすいジャンルとしにくいジャンルがあります。野球選手が受賞しやすい(過去に王と衣笠が受賞し、福本とイチローが辞退)のは、メジャー競技というだけではなく記録が誰の目にもわかりやすいからでしょう。記録が残りにくいサッカー選手は誰も過去に受賞していません。また、作曲家が過去に4人も受賞しているのに作詞家はゼロ。これも不思議です。阿久悠が受賞しなかった理由が未だにわかりません。

 同じジャンルであってもどこで線を引かれたのかわからない例がいくつもあります。長谷川町子が受賞してなぜ手塚治虫がダメだったのか。王貞治が受賞してなぜ王を上回る3度の三冠王を獲得した落合博満がダメだったのか。千代の富士が受賞してなぜ7場所連続優勝の朝青龍がダメなのか。人格?言動?それでキャリアを否定しても良いのでしょうか?

 いっそ人気取りのためという目的が国民栄誉賞の特徴なら、もっと安売りしてどんどん受賞させてしまえば良いのにと思います。死んだらくれてやるという方針も改めて、毎年決まった時期に「今年の国民栄誉賞」として、特別なトピックがなくても生存中にどんどん発表していけばいいのです。そうやってイベント化していった方が盛り上がります。なにせ毎年5人ずつ出したって候補なんていくらでもいるのですから。

 ざっと思いつくだけでも俳優なら森繁久弥、高倉健、吉永小百合、加山雄三。歌手なら松任谷由実、中島みゆき、サザンオールスターズ、山口百恵、松田聖子。タレントなら黒柳徹子、みのもんた、SMAP。お笑い芸人なら萩本欽一、ドリフターズ、タモリ、明石家さんま。テレビの中には国民的人気者なんていくらでもいます。

 文化人でも偉大な作品を多く生みだしたクリエーターがたくさんいます。映画監督の山田洋次、北野武、宮崎駿、作曲家の久石譲、作詞家の松本隆、ミュージシャンの坂本龍一、小説家の五木寛之、小松左京、村上春樹、赤川次郎、演劇の浅利慶太、蜷川幸雄、脚本家の井上ひさし、倉本聰、三谷幸喜、漫画家の藤子不二雄、ちばてつや、あだち充、萩尾望都、鳥山明。もう本当にどれだけでも名前が挙がります。なんだったらゴジラやドラクエにやったって良いでしょう。

 野球なら前述の長島、落合以外にも川上哲治、金田正一、野村克也、張本勲、相撲の大鵬、サッカーの釜本邦茂、柔道の田村亮子、野村忠宏、水泳の北島康介、体操の加藤沢男、フィギュアスケートの荒川静香、浅田真央、スキー複合の萩原健司、ジャンプの船木和喜、テニスの杉山愛、ゴルフの青木功、尾崎将司、ボクシングのファイティング原田、具志堅用高、プロレスのアントニオ猪木、将棋の羽生善治。

 吉田正や遠藤実が受賞するなら、断然国民栄誉賞にふさわしい人たちです。きっとまだまだいることでしょう。彼らにどんどん受賞させてしまえば、今のような批判は浴びないことだろうと思いますし、イチローも二度も受賞辞退なんかせずに、もっと気軽にもらってくれたかも知れません。そんなもんで良いと思うんですけどね、国民栄誉賞なんて。