幹事クリタのコーカイ日誌2009

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5月28日 ● 清志郎に続いて栗本薫まで死んでしまった。

 栗本薫(中島梓)が亡くなりました。またもガン。ここでは取り上げませんでしたが、忌野清志郎に続く50代での死に少々ショックを受けています。清志郎と同じく彼女も我々の世代にとってはちょうど多感な10代後半に登場した、それまでのオトナ文化を打破し新しい時代を切り開いてきたリーダーでした。そんなアニキ、アネキを失ったというのは残念でならないのと同時に、いよいよ自分たちの世代が矢面に立たされている気がしてきます。

 栗本薫を知ったのは『ぼくらの時代』で江戸川乱歩賞を最年少受賞(当時)した時でした。その前に中島梓名義で評論『文学の輪郭』を発表していますが、それは読んでいません。あくまでも文学者として最初に触れたのはミステリー作家としての栗本薫でした。

 しかし、彼女はその後に一気に活動のフィールドを広げます。ずっと書き続けてきた大河ロマン『グイン・サーガ』シリーズをはじめ、時代小説や怪奇小説なども驚くほどのペースで精力的に出し続ける一方、エッセイも多数発表。特にマンガに関するエッセイや評論はよく読みました。それに耽美雑誌「JUNE」にも彼女は積極的にエッセイを書いていて、僕は美少年自体には全然興味はありませんでしたが、彼女の書くものだけは熱心に読んでいました。

 そしてテレビのクイズ番組『ヒントでピント』に中島梓として出演。女性軍キャプテンとして活躍していた頃は毎週この番組を熱心に見ていました。と言うのも、当時僕が仲が良かった女性と彼女は少し面影が似ていたところがあったからで、何となく目が離せなかったのです。

 彼女は音楽活動にも熱心でしたし、邦楽器もこなしました。彼女の言葉で特に印象的だったのが「我々は年を取っても演歌を聴かない最初の世代だ」というのがあって、多分まだ彼女が30才くらいだったんじゃないかと思いますが、確かに僕も未だに演歌は聴きません。我々にとっての演歌にあたるのはフォークでありロックであるからです。そして彼女のその発言が今の演歌の状況を予見していたことを痛感します。

 僕は決して彼女の文学の熱心な読者ではありませんでしたが、彼女のエッセイや発言を通じて時代を感じ取るのは好きでした。ご冥福をお祈りしたいと思います。