幹事クリタのコーカイ日誌2009

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1月27日 ● 朝青龍のガッツポーズ。

 朝青龍の復活優勝に沸いた初場所ですが、予想通り千秋楽でみせた土俵上のガッツポーズに批判が出ています。まああれを見た瞬間に「また叩かれるだろうな」と思いましたが、案の定といったところ。相撲は神事であると主張し、横綱の品格を厳しく問う人たちにとってみれば、土俵上でのガッツポーズなんてとんでもないと思うことでしょう。

 古くから相撲を見てきた僕にも確かにあのガッツポーズには違和感がありましたが、その感覚は今やすっかり少数派です。多くの人にとってみれば、快挙をなし遂げた朝青龍がその嬉しさを素直に表現して何が悪いのか、と感じるわけで、横審のクレームは、頭の古いじいさんたちがまた朝青龍にいちゃもんをつけているとしか思われないことでしょう。

 柔道の国際化を巡る一連の軋轢でも同じことを感じますが、日本古来の武道における精神性の高さとその重要性は、現代の感覚ではなかなか理解してもらえません。特にサッカーのような「審判がわからなければ反則OK」的なスポーツに馴染んでしまうと、相撲のようなルールとして規定されていない不文律にまで従う感覚は、ほぼ非合理的として拒否反応すら起こしかねません。若い世代が朝青龍を支持し、年輩者が朝青龍を非難するのも、単に年寄りは頭が固いというだけではありません。日本人が大切にしてきた精神性という「美学」の問題でもあるからです。

 もっとも、かつての大相撲をあまり美化し過ぎるのも間違っています。昔だって「やんちゃ」な力士はいくらでもいました。ダメな横綱もたくさんいました。朝青龍だけが特別ひどいわけではありません。僕は3才の頃からの相撲ファンですからすでに観戦歴は44年、その間に見てきたロクでもない力士は枚挙に暇がありません。無気力相撲や私生活のトラブル、暴言暴行に逃亡。朝青龍はちゃんと土俵に上がりしかも結果を残すのですからマシな方です。それでもこれだけ前代未聞のバッシングされるのは、彼が日本人ではないからです。