幹事クリタのコーカイ日誌2008

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8月17日 ● 「美しい柔道」か「勝つ柔道」か。

 男子柔道で石井慧が「見事」に金メダルを獲得しました。ここで「見事」とカッコ付きなのは、石井の柔道が本来の理想的な「日本の柔道」ではなく、「国際化された柔道=JUDO」での勝利だったからです。彼は「自分の柔道」と表現していますが、それは講道館が長年追い求めてきた柔道ではないからこその、彼なりの表現なのです。

 石井の柔道と日本の柔道の何が違うかと言えば、要するに「一本を狙う」か「ポイントを取って勝つ」かの違いです。日本の柔道と言うのは基本的に「一本」で勝負が決するものです。元々が武道なのですから、中途半端はありません。やるかやられるか、相手から一本取って決めなければ勝ちではないのです。

 しかし、国際化された柔道はどんどんポイント制柔道へと移行してきました。勝つためにはどんなカタチであれ細かいポイントを積み上げて最終的に「優勢」であれば良いのです。これは柔道のレスリング化であり欧州化です。それに抵抗を感じている日本柔道界は、徐々に国際柔道に遅れを取り始めていて、だからこそこの北京五輪で男子柔道は金メダル2個、それ以外のメダルゼロという惨憺たる結果に終わってしまったわけです。

 しかし、石井は違います。彼は「勝つ」柔道こそ至上だと考えており、日本柔道界が良く言う「一本を取る美しい柔道」など無意味だと思っています。彼は「一本至上主義」の全日本選手権であっても、「自分の柔道」を貫き優勝しました。しかし、そのスタイルに多くの批判が集まったことも事実です。

 谷本歩実がアテネに続いて北京でもオール一本勝ちで金メダルを取った時に、古賀稔彦は新聞紙上で「最近はポイントを取って勝てばいいと考える日本人選手もいる。しかし、一本勝ちを強く意識しないと勝利につながらないことを、谷本の試合であらためて学んでほしい。」と語っています。これは特に石井のことを意識して言っているなと僕は感じました。

 その古賀の言葉を石井が知っていたかどうかはわかりませんが、石井は石井なりに金メダルを取ることで「自分の柔道」の解答を示したのだろうと思います。石井は今回準決勝までオール一本勝ちでしたが、決勝は相手の反則を誘っての優勢勝ちであり、その決勝戦こそが自分の柔道だったと直後のインタビューで答えています。

 どちらが正解ということはなかなか言えない問題です。僕は高校時代に柔道をやっていましたから、あくまでも一本を狙う柔道こそ、本来の柔道の姿だろうと思っています。しかし、柔道が日本発祥のお家芸である以上、どんなルールにせよ負けることは許されない、そのためにはポイントを取りにいく柔道に対応して勝つことにこそ意味があるという主張も、もちろん正しいと思います。「美しい柔道」で美しく一本を取られて負けて帰ってくるなんてもってのほか、というのもまた日本の柔道界の暗黙の了解です。日本柔道は負けてはいけないのです。

 だから一番は「勝つ」ことであり、二番は「美しく」だと思います。両方を兼ね備えた谷本や上野の柔道が最高で、石井はベストではなくベターでした。しかし、それでも決勝残り10秒で逆転の一本負けをくらった塚田よりは上ですし、ポイント柔道を挑みながら銅メダルに終わった谷は塚田よりも下です。そしてなす術なく1回戦でも敗者復活戦でも負けてしまった泉と鈴木は論外です。こんな選手を選んだ方も責任を問われるべきであり、山下泰裕もそれを自ら新聞で認めています。

 他のスポーツは負けても「よくやった」と甘いことを言われたりもしますが、柔道に限ってはそんな甘いことをいうのは門外漢だけで、柔道に深く関わる人ほど厳しい姿勢を崩しません。それこそが正しい柔道家であり、その厳しさが柔道の魅力だと思います。