幹事クリタのコーカイ日誌2008

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6月19日 ● 「庶民目線」だけでは喧嘩にならない。

 時々読んでいる「きっこのブログ」で、金持ちからもっと税金を取れ、という話が書いてありました。タバコとかガソリンとかの販売価格を年収に応じて変えれば良いという「キッコ改革」だそうです。年収300万円ならタバコ1箱300円だけど、1000万円なら1000円にせよ、これが「公平」だという説ですが、当然これは所得税を廃止して消費税だけにするということでしょうね?書いてはありませんでしたが、そうじゃなければ累進課税でとんでもない所得税を払わされている高額納税者は納得しません。二重累進課税ですからね。

 こんな税制を取り入れたらますます富裕層は海外に逃げるでしょうし、海外に逃げられない人(例えば中小企業の経営者など)は、投資意欲も勤労意欲も減退してしまうでしょう。稼いでも全部税金で持っていかれるだけなら頑張る意欲なんか起きません。つまるところ、税収の減少、経済の停滞、国力の低下を招くだけだと思われます。きっこさんのアイデアは面白いですが、ちょっと使えないんじゃないかと思います。

 「きっこのブログ」の中では「自分の支払ってる水道代を「税金」だとすれば、自分が使ってる水は、納税したことによって国から受けてる様々な「対価」だ。福祉や教育や治安維持など、様々な「対価」だ。つまり、2000円の水道代(税金)を支払った者は、2000円ぶんの水(対価)を受け取る権利がある。」と書かれていますが、年間に所得税を10万円しか払っていない人(課税所得が195万円以下なら税率は5%)と1000万円払っている人(課税所得が1800万円を超えると税率40%)がいて、じゃあ1000万円もの税金を払っている人が100倍の水(対価)を国から受け取っているかと言えば、決してそんなことはありません。警察や消防が100倍サービスしてくれるわけでもなければ、道路を100倍優先的に使わせてもらえるわけでもありません。国立大に子どもが進学しても授業料を100分の1にしてくれるわけではないのです。

 100倍税金を払おうが1万倍払おうが、国や自治体から受けられる「対価」はみんな同じ。高額納税者は支払った分だけの対価を決して受け取っていないのに、そこは無視して「金持ちは敵」「企業は悪」とばかりに「庶民目線」で権利だけを主張するのは、虫が良すぎる議論です。「頑張って稼いだ人が、たくさん税金を負担してくれている」ことに、もう少し世間は感謝と尊敬の念を持つべきだと僕は思います。そうやって国家財政は運営されているんだということを意識もせずに「金持ちはケシカラン」という感情的な妬み僻みを利用して議論を進め、バラマキ福祉をするのは、昭和の社会党だけで十分です。それでどれだけの革新首長が自治体の財政を悪化させてきたことでしょうか。

 「庶民目線」も結構ですが、日本中が貧しかった昭和30〜40年代ならともかく、今はそれだけでは冷静な議論が成り立ちません。「税金を安くしろ」「福祉に金を回せ」とだけ言っていれば良かった時代と違い、今では誰でも「じゃあその金はどこから出すのか」ということを考えます。そして例えば大企業から法人税をもっと取れば良いと主張しても、今やサラリーマンの多くは実は大企業の社員であり「会社の利益が下がるとボーナスも下がるなぁ」と思っているのです。経済は繋がっているし政治はバランスです。あちらを立てればこちらが立たないという状況の中で、うまくあちらもこちらも少しずつ我慢しながら両立させる方策を探るのが政治の役割です。

 「金持ちケシカラン」の庶民目線だけの主張は、結局世の中を動かしている連中の相手にもしてもらえず、庶民の不満のガス抜きになるだけで、むしろ「改革」にはマイナスかも知れません。残念ながら。