幹事クリタのコーカイ日誌2008

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4月24日 ● 誰もが本村さんになれるわけではない。

 光市の母子殺害事件の差し戻し控訴審判決で、被告人へ死刑判決が出たことについては、いろいろな観点から感想を書くことができます。死刑判決の妥当性について、死刑制度そのものの是非について、少年の犯罪と少年法について、弁護団のあり方、被害者遺族のあり方、マスコミの取材の方法、そして裁判員制度への影響などについて。

 今回僕が特に感じたのは被害者遺族である本村洋さんの毅然とした態度や論理的で冷静な受け応えの仕方で、あれほどしっかりとした立派な被害者遺族というのは過去に見たことがありません。プロデューサーやディレクターがバックにいるわけでもないのに、個人であれほどきちんと対応できるというのは素晴らしいことですし、ある意味超人的であるとさえ思えます。本村さんの持つ資質と、強い意志があって初めて可能なことなのでしょう。

 しかし、本村さんが超人的であるだけに、今後の被害者遺族のスタンダードに彼がなってしまっては困ると思います。本村さんのように誰もが振舞うことを期待され、そうじゃないと「本村さんを見習え」とばかりに叩かれては、被害者遺族の立つ瀬がありません。

 普通は家族を非道な犯罪で失ったら冷静さなんて保てるわけはありませんし、犯人に対する呪いの言葉のいくつかも浴びせたいものです。法律について本村さんのようにきちんと勉強して理解できるとは限りませんし、自分の考えを粘り強く訴え続ける強さもなかなか持ち得ません。ましてマスコミの無礼な質問(今回の朝日新聞女性記者のような)に対して、切れずにきちんと対応できるものでもありません。

 悲しみにくれる被害者の感情を煽るようなマスコミの対応に、つい我を忘れてしまうような遺族がいて当然だと思いますし、そんな姿を報道されて遺族が2チャンネルなどで叩かれようなことがあっては本来ならないのです。かつてイラク拉致被害者やその家族の言動をまるでいたぶるようにバッシングした匿名の人たちは、実際にその立場に立たされたとき、どれほどまでに立派な態度を保てるというのでしょうか。

 本村さんの対応の立派さを思えば思うほど、被害者の二次被害を防ぐためにも、これが決してスタンダードではないということも我々は心しておかないといけないと思います。