幹事クリタのコーカイ日誌2008

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4月23日 ● 我々の記憶は粉飾されている。

 先日テレビで「人は悪い思い出の2倍良い思い出を持って生きていた」という話題をしていました(『1分間の深イイ話』)。人の思い出の割合というのは良い思い出が6、悪い思い出が3、どちらとも言えない思い出が1という割合になるという実験結果を紹介し、人は辛いイヤな記憶を忘れていくことで生きていけるんだ、ということでした。

 確かに思い当たるところはあります。「過ぎてしまえば良い思い出」とか「想い出はいつも美しい」とか、そういう慣用句があるのも、人間が脳の中で記憶を単に忘却しているだけではなく、粉飾、改竄、捏造しているからでしょう。大人になると学生時代を懐かしみ、若者を見ると「羨ましい」などと言いますが、よくよく思い出してみると、あの頃はそんな楽しいことばかりではありませんでした。むしろ大人になった今の方がよほど気楽に過ごしています。僕は課題や試験に追われる学生時代を繰り返したくはありませんし、理不尽でも大人の言うことを聞かなければならない子どもには戻りたくありません。

 まあしかし、昔のことは何でも良かったように思い出されるのは悪いことではありません。過去の記憶が辛いことばかりでは生きていくのがイヤになります。ところが先日知人の女性から昔の恋愛談を聞いていたら「わたしは昔の男の話をすると頭が痛くなる。ロクな記憶がないから」と言われました。想い出が美しいなどという話とは真逆の感想です。

 考えてみれば、男も女も昔付き合っていた人のことを聞くと、誉めるよりも悪く言うことの方が多いような気がします。特に女性は「その人と付き合っていたんでしょ?」と聞きたくなるほど、ボロクソにけなす場合が多く、だからこそ『恋のから騒ぎ』なんて番組が10数年も続いているのでしょう。

 なぜ昔の恋愛の話だけ悪い記憶が強化されているのか?いくつかの理由が推察されます。(1)ハッピーエンドじゃない限り、振ったにせよ振られたにせよ最後の別れ話の印象が強烈で良い思い出よりも悪い思い出が残ってしまっている、ということが考えられます。別れた以上は、別れた理由をまず本人が納得していないといけません。だからこそ、相手の欠点や一緒にいて辛かったことなどを記憶の中で強化してしまうんだと思います。

 また(2)異性相手なら昔付き合っていた異性を誉めるよりもけなす方が受けるし、同性に話す際は誉めるとまだ未練があると思われてしまうから、という「計算」と「見栄」の問題があります。別の異性のことを誉めてもほとんどの場合、相手が白けるだけですし、未練タラタラでまだ引きずっているのかと思われるのもイヤですからね。

 そして(3)恋愛なんて本当は楽しいもんじゃない、という「おいおい、ぶっちゃけちゃったよ」的なこともあります。だって普通楽しいのは付き合い始めの頃だけで、後はどんどん惰性になっていくし、飽きたら浮気をしたりされたりもするし、それを疑ったり喧嘩をしたりもします。最初3ヶ月だけ楽しくて、それからはずっと別れに向かっての助走期間だと考えたら、どうしたって楽しいことよりも辛いことの方が多くなるでしょう。

 恋愛話が美しくなるのは、冷静に考えられるようになる中年以降のことかも知れません。浮いた話からすっかり遠ざかった地点まできて、ようやく記憶の粉飾決算ができるようになるのです。