幹事クリタのコーカイ日誌2008

[ 前日翌日最新今月 ]


 
3月17日 ● 「情」の人と「理」の人。

 司馬遼太郎の『義経』を読了しました。今さらなんで義経?というと、3月10日が「菜の花忌」(司馬遼太郎の命日)だったので、以前大河ドラマ『義経』放映時に興味があって買ったものの、そのまま放置してあったのを改めて手に取ったというわけです。読み始めたら面白くて、あっと言う間に読んでしまいました。やっぱり司馬遼太郎は小説が実に巧いです。

 この小説の中で義経は天才的軍事家でありながら、政治的にはほとんど痴呆に近く、幼稚で甘ったれで子どものような性格。その上無類の好色。理性よりも情愛で物事を判断する人間として描かれています。ちょっと描写が極端過ぎる気もしますが、従来のヒーローとしての義経像を覆そうとする司馬の意気込みを感じます。

 対して兄の頼朝は天才的な政治家として志があり、グランドデザインを描け、人の心をよく読みとり、難しい事業を粘り強く成し遂げていく理性的な人間として描かれています。司馬は近代合理主義者と言われるように、合理的な考え方をする人物を好みます。その司馬好みのキャラクターとして頼朝は描かれています。日本史上に残る人気者の義経と、その功績の割りにまるで人気がなかった頼朝という2人の兄弟を、見事にひっくり返しているわけです。

 「情」の人である義経と、「理」の人である頼朝。読者はこの2人のそれぞれに自分を、あるいは周りの人間を投影して読み進めていくことでしょう。人間は100%「情」でも100%「理」でもなく、その比率がどの程度かによって行動や思考のパターンがわかれるだけですから、読みながら「ああ、こういうところは義経の気持ちがわかる」とか「頼朝の判断は正しいし、自分でもそう考える」などと共感していくわけです。

 僕の場合、自分では「理」が勝る性格だと思っていますが、人によっては「情」が上回っていると見るかも知れません。仕事は「理」だけど、プライベートな人付き合いは「情」だと考えていますから、公私で少し印象が違うことも考えられます。ただ人としての好き嫌いで言えば、「理」の人の知性に惹かれるものの、「情」で動く人も嫌いじゃありません。もちろん限度はありますが、「理」だけでは面白みに欠ける場合もあるからです。

 司馬は作中で義経の性格を「婦人的」と称していますが、女性は傾向として「理」よりも「情」で動くことが多いだろうと一般には考えられていると思います。ただ、世の中には意外に「理」の女性も多いです。そういう女性は友達として付き合うと楽だし話も面白いのですが、恋人にすると冷たい、水臭いと感じることがあります。むしろ今は男の方がバカでロマンチストで夢見がちですよね。義経的な甘ったれた男、頼朝的なクールな女性が増えていると感じます。まあ義経が実際に生きた時代と、司馬がこれを書いた昭和40年代と、平成20年の今とでは、常識も道徳も違いますから、男女の気質が変わってくるのも当然と言えば当然ですね。