幹事クリタのコーカイ日誌2008

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3月8日 ● スペースインベーダーとの30年。

 タイトーがスペースインベーダー発売30周年を記念して、いろいろ新戦略を練っているそうです。インベーダーをあしらったタオルなどの記念商品を作ったり、インベーダー側になって地球を攻略する新ゲームを開発したり、テーブル型ゲーム機をプレゼントする企画もあるそうで、往年のファンなら心を動かされることでしょう。

 インベーダーが発表されたのは1978年。僕は高校3年生でした。それまでのブロック崩しなどよりはるかに流行しているのは知っていましたが、元来のゲーム好きゆえに一度やり始めたらはまるに決まっていると、受験生として頑なに近づかないで過ごしました。当時の国立大の受験日(共通一次試験1期生ですから二次試験)は3月3日。試験が終わったその足で僕はインベーダーゲーム機の前に座り、その日は暗くなるまでやりこみました。あの日の夜、目を閉じればあのチカチカする映像が浮かぶほどにのめりこんだバカな自分を覚えています。

 大学生になった僕は毎日のようにゲーム機のある喫茶店に入り浸り、めきめきと腕前を上げていきました。仲間内では僕よりインベーダーが巧い人間はいませんでしたし、ビデオゲーム黎明期の当時は、それが「オタク」と謗られることもなく、むしろ女の子たちからも「クリタくん、すごーい!」と言われるような状況で、まさに鼻高々でした。もちろん、その後に出たアーケード用のゲームというゲームは制覇し続けたものです。

 4年後、会社に入った頃には、あの「ゼビウス」が大ヒットしていて、会社の先輩達がゲームセンターではまっていたのですが、彼らの点数を見ると2〜3万点。当時すでに僕は30万点以上は叩き出していたので、まさに先輩達のゼビウスなど「児戯に等しい」状態でした。その後、さらにゼビウスの腕は磨きに磨かれて、100万点、200万点と突破するようになり、ゲーセンで100円玉ひとつで延々とプレイし続ける僕の周りには、子どもを中心としたギャラリーができるほどでした。

 ファミコンが登場してからは、会社の先輩や同僚たちと今度は同じソフトで競い合いましたが、ドラクエのクリアにしろ、ディスクシステムによるゴルフのスコア競争にしろ、ファミスタの対戦にしろ、常に仲間内ではトップで社内の「ゲームの達人」としての地位を確固たるものにしていました。もちろん、そんな地位を固めるよりも、仕事で認められるべきだったのですが、それに気付かないバカな若手だったということです。

 そんな僕のゲーム人生の基礎を作ってくれたのがインベーダーだったわけで、今回のタイトーの新戦略とやらも懐かしい思いはしたのですが、だからと言ってテーブル型ゲーム機が欲しいかと言われると要りませんね。それに地球に侵略するゲームというのも、薄い興味はありますが、今さらシューティングゲームをやろうとは思わないし。と言うか、30年経っても未だにゲームに興味がある自分の進歩のなさに驚きます。これを「気持ちが若い」と言って誉められてもあまり嬉しくないような。