幹事クリタのコーカイ日誌2007

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11月14日 ● 「鉄腕稲尾」逝く。

 かつての西鉄ライオンズのエースで「神様仏様稲尾様」と言われた鉄腕・稲尾和久が亡くなりました。まだ70才。日本人の平均寿命が80才を超えているのに、この世代の野球人は次々と亡くなっていきます。よほど体を酷使したからでしょうか?

 僕が野球を見始めたのは1968年から。稲尾が現役を引退したのは翌1969年ですが、当時テレビの野球中継でパ・リーグを放映することはなかったので、実際に稲尾が投げているところをブラウン管越しでも見た記憶はありません。

 ただ当時の子どもたちにとっても「稲尾」という名前はビッグネームでした。あの巨人を倒した西鉄のエースにして、日本シリーズで自らサヨナラホームランを打つなど4勝を挙げたとか、シーズン42勝とか、同一シーズン内20連勝とか、とにかく派手な記録に事欠かない選手でした。

 と言っても、本人は見た目に地味な印象で、監督としても稲尾はあまりパッとした成績は残せませんでした。「黒い霧」事件でガタガタになっていた西鉄時代は仕方ないにしても、落合が三冠王を獲った当時のロッテを率いながら優勝に届かなかったのも、監督としては凡庸だったと感じさせます。

 我々中日ファンにとっては中監督時代の投手コーチとしての指導ぶりが印象的です。中は打撃コーチタイプであまり監督として向いていなかったのではないかと思われていましたし、稲尾の方がずっと貫禄があって親分然としていました。当時藤沢、都、小松、牛島らの若手投手を指導していますが、1980年代の中日投手陣の基礎を作ったと言えるかも知れません。

 日本のプロ野球史を語る際には決して欠かすことができない大投手でしたが、振り返ってみれば結局は新人の年から8年間の投手生活が華々しいだけで、後は決して順風満帆とはいっていません。逆に言えば、人生の花火がその8年間に凝縮されているからこそ、その密度の高さゆえに記録だけではなく記憶に残るような大投手になったのでしょう。ご冥福をお祈りします。