幹事クリタのコーカイ日誌2007

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10月25日 ● 今さらながらF1の話。

 ちょっとネタが古くなってしまって赤福なら回収して再出荷というタイミングなのですが、F1最終戦のブラジルGPの話です。ご存知の方も多いと思いますが、今年は3連覇を狙うアロンソに対し、驚異の新人ハミルトンが立ち向かい、日本GP終了時点でドライバーズポイントで12点差。これはもう決まりかと思っていたら、中国GPでまさかのハミルトンのリタイア。トップでフィニッシュしたライコネンと2位に入ったアロンソが一気にポイントを詰めて3人がわずか7点差で最終ブラジルGPに突入したのです。

 と言っても、まだこの時点でもハミルトンが圧倒的に有利なことには変わりありませんでした。ハミルトンとアロンソの差が4点差。同じマクラーレンのチームメイトである以上、アロンソがハミルトンの前を走っても逆転は難しい数字です。ましてライコネンとの7点差なんて、よほどのことがない限り安全圏だと思われました。

 ところがF1は走ってみないとわかりません。ハミルトンの突如のスローダウンでチャンピオン争いはまさに三つ巴で混沌とし、最後の最後まで手に汗握る展開になりました。最終的にはライコネンが優勝して110P、3位になったアロンソと7位になったハミルトンが109Pという、まさに僅差でライコネンが悲願のチャンピオンになったのです。ハミルトンのルーキーでの制覇、アロンソの3連覇というどちらが勝っても偉業だったのに、それを阻んだライコネンの初チャンピオンもまた2度2位に泣いた男だけに拍手でした。

 この三つ巴で思い出されたのは、1986年の同じく三つ巴のチャンピオン争い。この時も同じウィリアムズで走るマンセルとピケが1位と2位で、マクラーレンのプロストは今年と同じく7点差の3位。しかし、結果は最終戦でプロストが大逆転を果たしワールドチャンピオンの座についたのです。

 21年前と同じ光景が繰り返されたのをテレビで見た僕は「すげぇ」と度肝を抜かれました。まさに歴史は繰り返すのです。しかも1986年というのは中島悟が参戦しフジテレビが全戦を中継する直前の年。まだ一部の好事家だけがF1に注目していた頃です。1987年からF1は日本でもブームになり、1990年代前半にその人気もピークに達したのですが、今はすっかりまたモータースポーツマニアだけのものになりました。ブームを挟んだ前と後で、こんな素晴らしいバトルが繰り広げられたのも奇妙な符号に感じてしまいます。

 そう言えば今回のブラジルGPでは中島悟の息子である中島一貴がデビューしたのも何かの因縁でしょうか。もっともピットインの時にクルーを跳ね飛ばしたのには驚きましたが。あの映像はちょっと衝撃映像で使って欲しいくらい傑作です。大事には至らなかったのですが、クルーの跳ばされ具合が実に派手でしたからね。