幹事クリタのコーカイ日誌2007

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10月15日 ● 江川と小林「空白の一日」から28年。

 「うるぐす」で江川卓と小林繁の対談を2夜連続で放送していました。「黄桜」のCM撮影で初めて語り合った2人の66分間を未公開映像というカタチでじっくりと見せました。1978年の「空白の一日」事件はプロ野球界のみならず社会的な事件として大きく騒がれ、当時の若き野球ファンであった我々にも実に印象深い出来事でした。

 2人の対談をずっと聞いていると、悪役江川と善玉小林の胸中の苦しみは実は似通っていたということにまず胸を打たれます。どちらも周りに翻弄され自分の意志ではどうしようもないところへと大きな波でさらわれていったように感じていたようです。その中で自分たちにできることは、とにかく「負けまい」と心に誓って必死で投げることだけ。それが小林の阪神移籍1年目での22勝という結果に結びついたわけですし、江川のその後の巨人の大エースとしての踏ん張りになったわけです。

 また彼らの引退が早かったのも(小林は31才、江川は32才で引退)、また2人とも13勝をしたにも関わらず肩の故障で自分らしいボールが投げられなくなったからと引退してしまったのも、やはりこの「空白の一日」事件当事者として、みっともない姿は見せられないし、綿々とマウンドにしがみつくことは許されないという思いが共通していたからでしょう。この事件がなければ、彼らは肩の故障を騙し騙し、もしくは手術をして直してもっと長く投げ続けたかも知れないし、そうしたら2人とも200勝できたかも知れません(小林139勝、江川135勝)。

 特に江川は高校時代のスーパースターぶりを考えると、プロでの通算成績は物足りません。沢村、スタルヒン、別所、杉下はもちろん、全盛期の稲尾、杉浦、金田も知らない僕たちの世代にとっては、史上最高の投手は左は江夏、そして右は江川です。もし江川が高校卒業時のドラフトで素直に指名された阪急に入団し20年投げていたら、どれほど凄い通算成績を残したかと思うと、つくづく残念な気がしますが、逆にあの空白の一日があったからこそ、江川はやはり江川たり得たのかとも改めて感じました。

 それにしても、当事者の2人が、28年もの間、一度も話したことがなかったというのも驚きでしたし、それを事前の打ち合わせも顔合わせもなしでいきなり話をさせてCM素材として撮影して使おうという企画もすごい発想です。同じ広告制作関係者として「やるなぁ」と感嘆してしまいます。広告でこんなジャーナリスティックなことができるという意味で、新しい可能性を示した素晴らしい企画だと思います。