幹事クリタのコーカイ日誌2007

[ 前日翌日最新今月 ]


 
4月26日 ● チューリップは青春のバンド。

 NHKで昨晩チューリップの特集番組がありました。チューリップの全盛期は僕がちょうど中学生から高校生の頃。毎夜ラジカセから流れる音楽をエアチェックしてカセットに録音していた時代に重なります。あの頃は人並みにリクエストハガキなんかも書いていて、読まれると翌日友人に「聞いた?」と自慢したものでした。

 チューリップと言えば『心の旅』であり『銀の指輪』であり『サボテンの花』であり『青春の影』であるわけですが、全て「青春の歌」です。青春時代の心の痛みやときめきや優しさや憧れや寂しさを歌います。恋心や友情や夢や挫折を歌います。逆に言うと、それ以外は歌いません。大人の、中年の心の内を代弁したり、納得させたり、しみじみさせたりはしないのです。

 番組の中で財津和夫がチューリップをやめる理由を語っていました。「もう青春の歌をこの年で歌うのはきつい」んだと。僕はハッとしました。多くの古い歌手たちが昔のヒット曲をよくテレビで歌っています。彼らがまだ10代、20代の頃の持ち歌を60才になっても嬉々として懐メロ番組で歌っているのを見て、僕は「こういう財産があると楽だよなぁ」と思っていました。一生食いっぱぐれはないじゃん、と。

 しかしチューリップは楽じゃないんだそうです。カラオケ気分で気楽にさらっと歌うだけなら決して大変なことではないでしょう。これまで数え切れないほど歌ってきた曲のはずですから。それなのに「歌うのがきつい」と言うのは、それだけ彼らが真剣に心をこめて歌っているからでしょう。本当に20代の若者の気持ちになって歌ってこそ伝わるんだと考えているから、還暦が近い年齢ではとても歌えないと思うのでしょう。

 昨晩の放送では『心の旅』や『銀の指輪』といった姫野達也がボーカルの歌を演奏しました。僕たちにとってチューリップのボーカルは姫野じゃなければ、という思い入れがあります。あの男性にしては舌っ足らずの甘えた声だからこそ、甘酸っぱい70年代の青春ソングとして成立していたという思いがあるからです。しかし初老に近づいたメタボリックな姫野は当時のような甘えた歌い方をしていませんでした。無理だろうと思います。55才になって舌っ足らずで歌うなんて普通はできないでしょう。でもそれでは『心の旅』じゃありません。もうチューリップはチューリップではなく、本当の『心の旅』は当時の音源で聞くしかないのだということが実感できました。


とりあえず、読むたびに(1日1回)

を押してください。 日記才人という人気ランキングに投票されます。
初めての方は、初回のみ投票者登録画面に飛びます。
結構更新の励みにしていますので、押していってくださると嬉しいです。