幹事クリタのコーカイ日誌2007

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3月17日 ● SFの機械のような違和感。

 ツーカーからauに携帯電話を変えて一週間。実際の使い方としてはあまり変わっていなくて、基本的に電話としてはほとんど使わずメールをたまにやり取りするくらい。ワンセグも今は相撲中継をチェックすることはあっても、それ以外はまず使っていません。

 ですが、時々この携帯電話が持つ多機能かつ高機能な部分に触れてしまい、「げげっ」と驚くというかビビることがあります。「なんだこいつ、こんなこともできるのか」と。もちろん知識としては知っていたのですが、今まで低機能ケータイを長年持っていて「ケータイってこんなもの」という思い込みがあったので、いきなり高機能に触れるとカラダが慣れていない感じがするのです。

 テレビが見られて、ラジオも聞けて、カメラで写真が撮れて、動画も撮れて、音楽を聞けて、ネットもつながるし、財布代わりにもなり、目覚まし時計でもあり、もちろん電話もできる、それもテレビ電話で。携帯電話前の時代に、これだけのことをするための機器類を持ち歩こうとしたら、クルマ1台必要でした。テレビとラジオとカメラとビデオカメラとステレオとパソコンと財布と目覚まし時計と電話機。20年前の僕が見たら、なんなんだ、この未来の道具は?ドラえもんのポケットから出てきたのか?と感じることでしょう。

 特にネットとの連動性の高さはビックリで、普段の待ち受け画面の中でもニュースフラッシュが流れていて、それをクリックすると詳しい情報を得ることができます。ワンセグを見ている時にもデータ情報が表示されて、やはり詳しいことがワンクリックでわかります。まさに全ての情報がここに、この小さな機械の中にある、という感じです。少しずつ機能が増えてきたので慣れてしまっている部分がありますが、もし一足飛びにここまできていたら、「これが未来の機械か、さすが21世紀!」と感動していたと思います。

 昨日『鉄腕アトム』の「地上最大のロボット」の巻を読んでみました。浦沢直樹が『PLUTO』という作品でリメイクしている手塚治虫の原作です。その中では誰も携帯電話を使っていませんでした。ロボット同士は「なんとなく」遠くに離れていても意思が伝わるらしいのですが、人間は話があったらわざわざ会いに行くのです。お茶の水博士もしかりです。今だったらまずメールをしてから電話で話し合うでしょう。テレビ電話があれば会わなくてもすみますし、時間のロスもありません。

 用があったら相手先に出向く、というコミュニケーションが廃れ、古き良き文化が失われていくと嘆いているわけではありません。そういうことを言いたいのではなく、ただいつの間にか僕たちはアトム(2003年生まれ)よりも先の未来に来てしまったのだなぁと奇妙な違和感を覚えただけです。

 

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