幹事クリタのコーカイ日誌2007

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2月17日 ● ヒット曲の構造変化。

 本屋で偶然見つけた『タイアップの歌謡史』(速水健朗・洋泉社)という新書があります。タイトル通り戦後昭和歌謡史の中におけるタイアップ曲について追いかけた本で、まあ新書にはなっていますが書いてあることは雑誌の特集記事に毛の生えたようなもので、特に学術的な内容でもありません。普通なら780円も払って買うようなものではないと思いますが、なにせ歌謡曲好きでしかも広告業界に身を置いている自分としては、ついつい興味があって資料的にも価値があるかもと思って購入してしまいました。

 まだざっと斜め読みをしただけですが、大きくわけるとタイアップ曲というのは、CMソングと映画やテレビドラマ、アニメなどの主題歌に大別できるようです。まあ最近はバラエティ番組のテーマ曲もヒットしたりしますが。CMソングも、そのCMのために書かれた曲と、イメージソングとしてCMにくっつけられた曲があります。

 僕にとって特に懐かしいと感じるのは、1970年代後半の化粧品CMのタイアップソング。資生堂を中心にカネボウやコーセーなどがシーズンごとに激しく広告合戦を繰り広げていた頃で(参照)、『時間よ止まれ』『Mr.サマータイム』『セクシャル・バイオレットNo.1』『君のひとみは10000ボルト』『燃えろいい女』『君は薔薇より美しい』などといったヒット曲が続々と生まれました。当時の化粧品CMソングばかりを集めたCDまで何枚も出ているくらいです。

 当時は、まずその時にメーカーが売りたい商品があって、それについてのキャッチフレーズが決まります。例えば「ゆれる、まなざし」というコピーが決まると、次にそのキャッチフレーズを元に曲が作られて、その曲を使ったCMが作られるわけです。サビとタイトルになっているコピーが繰り返しテレビで流されるわけですから、コピーライターにとっては時代の流行を作っているような気分だったことでしょう。

 当時の化粧品CMソングが若者にヒットしたのは、その曲を作ったのが従来の歌謡曲の作詞家・作曲家ではなく、いわゆる「ニューミュージック」と言われていたシンガーソングライターたちだったことが大きかったと思います。小椋佳、矢沢永吉、堀内孝雄、南こうせつ、甲斐バンド、ツイスト、尾崎亜美、竹内まりや、矢野顕子、山下久美子といった、テレビに出て歌を歌うことがない、もしくは少ないアーティストが、CMを通してテレビから曲を伝えていくことで、CMそれ自体が若者にとってのメディアであり文化になったわけです。

 資生堂が開発したこの手法は、瞬く間に他業界の広告でも真似されるようになり、1980年頃になると、ヒット曲の大半はCMとのタイアップで生み出されるようになりました。『いい日旅立ち』『異邦人』『ランナウェイ』『SWEET MEMORIES』などなど。そして1970年代の終わりにTBSで『ザ・ベストテン』が始まり、テレビに出ないアーティストも追いかけてランキングに登場させるようになったことで、さらにこの構造を加速させました。それまでのヒット曲の生まれ方をガラリと変えてしまったのです。この頃からヒット曲はテレビが(もしくはテレビを使って仕掛ける人々が)作り出すようになったのです。

 しかし、1980年代から続くこの仕組みも、最近はちょっと変わってきています。もはやCMとタイアップしても簡単にヒット曲は誕生しません。テレビで垂れ流しても以前ほどの投資効果は期待できません。ダウンロード時代になって、歌はますます個人化し、大衆的な大ヒットは今後滅多なことでは生まれないでしょう。それは良いとか悪いとかの問題ではなく。


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