幹事クリタのコーカイ日誌2006

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6月8日 ● 「金と女が好き」は悪いことか?

 村上欽ちゃんの饒舌な会見はますます彼の評価を下げてしまい、今やホリエモン以下の株価にまで暴落、と言うか、もともとホリエモンと違って、それほど良い印象をもたれていたわけではないので、ますます悪評ばかりが世間に噴出しているという感じです。

 ところで村上も堀江も「金と女」絡みのスキャンダルめいた話がいろいろと取り上げられていて、さらにイメージダウンを招いているようですが、本来の彼らの言動と女性スキャンダルは全く別問題だと僕は思います。彼らに限らず日本では(恐らく中国でも韓国でも儒教の影響の強い地域では)、人格と業績を一緒くたにして評価しがちですが、本来これは無関係のことのはずです。

 立派な業績を上げた人が立派な人格者であるとは限りません。「そうあって欲しい」という心情はわからないではありませんが、素晴らしい芸術を残した人が性格的に破綻している例など腐るほどあります。むしろ偉大なアーティストは支離滅裂な性格破綻者が普通で、真っ当な人間の方が珍しいくらいです。

 先ほど「儒教の影響」と書きましたが、まさに儒教では優れた指導者とは高い徳を備えた人物であると決まっています。むしろ徳さえあれば能力は関係ないのです。徳の高い人が世の中を治めれば何もしなくても自然とうまくいくし、もし良くないことが起きたら(天災であれ事故であれ)、それは指導者の徳がなかったからだとみなされます。

 だから川上哲治は「親孝行な選手は良い選手になる」と昔から主張しているわけです。しかし、この論理を展開していくと、好成績を残した選手はみな親孝行の人格者ということになってしまいます。横綱は力量だけではなく品格まで求められるのも同じ理屈です。朝青龍の苦労はそこにあります。「強けりゃいいだろ」という主張は相撲界では通らないのです。

 堀江や村上が逮捕されたのは「女が好き」だったからではありません。「金が好き」だったことは確かでしょうが、それとてきちんとしたルールの中でやっていれば文句を言われる筋合いではないはずです。一般的な男性なら「金も女も好き」で当たり前です。そして女性も普通は「金と男が好き」です。

 そもそも「女好き」と言ったところで、単に性欲が強いだけなのか、恋愛体質で惚れっぽいのかで全然違います。なのに、その面から彼らを叩いている人を見ると、そういう筋違いの批判をしていては事の本質を見誤り、むしろ問題点を温存してしまうことになるのではないかと危惧してしまいます。

 人格を批判するのは共感を得られやすくたやすいことですが、それは叩いている側の自己満足で終わってしまいます。行動そのものに対する冷静な分析と的確な批判を望みたいと思います。


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