幹事クリタのコーカイ日誌2006

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3月2日 ● 同窓会ができない、だけではない。

 もうすぐ小学校を卒業する娘の卒業アルバム。何でも名前が特定できるような写真は載せないんだそうです。卒業アルバムと言えば、ひとりひとりの写真と名前が書いてあるのは今まで常識だったのですが、個人情報保護法を受けての措置のようです。

 もちろん、僕たちの頃には当然あった住所録もありません。生徒だけではなく教職員の住所録も載っていませんから、卒業アルバムを元に同窓会の連絡を取ることもできないし、年賀状すら出すことはできません。

 クラスの子の住所や電話番号がわからないというのは何かと不便です。遊びに行くにも家がわからないし、子どもの間でトラブルが起きた時に、親同士が連絡を取りたくてもどうしようもないのです。子どもが喧嘩して相手の子を怪我させても謝りに行くこともできません。もちろん学校に問い合わせたって決して教えてくれません。

 こうした個人情報保護の名の元に情報を統制されることは、僕は「不便」というだけにとどまらず、かなり恐ろしいことだと思います。確かにいろいろな犯罪が多い昨今、安易に個人情報が公開されるのはリスキーです。しかし、だからと言って自分の個人情報が全くどこにも知られていないと考えるのは誤っています。むしろ今はより詳細にわたる個人情報が集積されているのです。「お上」には。

 情報と言うものは知っている人間が限られれば限られるほど、それを握っている者のパワーは増大します。例えば学校側だけが生徒たちの情報を握っていて親同士は全く知らないという状況では、親は横の連携が取れないから何かあった時に学校に対抗することができません。学校は都合の悪いことはいくらでも隠すことができるし、恣意的に情報を流すことでいくらでも親を操作することができます。

 組織を束ねる側は、なるべく横の連絡は取って欲しくないのです。情報は自分のところにだけ集まるというのが管理側の理想です。それは僕がサークルの幹事をしているのでよくわかります。サークルのメンバー同士でいろいろ連絡を取り合って、勝手に好きな者同士でテニスをされては、サークルがガタガタになってしまいます。サークルにとってこうした「分派活動」は一番厄介で、そうやって崩壊していったサークルも僕は見てきましたから、情報統制をしたくなる側の気持ちもよくわかるのです。

 娘の小学校のPTAとしては、学校が情報を出さないならと、独自に住所録を作ろうとしています。ただ一部の親はやはり「情報を出したくない」と拒否しているので、本当にこの住所録が完成するかどうかはまだわかりません。


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