幹事クリタのコーカイ日誌2005

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10月20日 ● 古田兼任監督に必要なもの。

 ヤクルトスワローズは若松監督の辞任を受けて来季から古田選手を兼任監督とすることを発表しました。古田がいつかヤクルトの監督になることは球団としてはもちろん既定の路線ではあったでしょうが、本人がまだ現役続行の意志が固いのに随分と急いで監督にしたものです。

 この裏にはいろいろな駆け引きがあったようですが、とにもかくにも古田は兼任監督を受けてしまいました。師である野村克也が南海でやって以来29年ぶりの兼任監督。果たしてうまくいくことでしょうか?

 野村は監督で捕手でしかも4番バッターでした。そして1973年にはリーグ優勝までしています。1人で三役をこなして優勝してしまうところに野村の凄さを感じますが、同じことを弟子である古田に期待するのは酷というものです。

 僕は古い野球ファンですから、野村(1970-1977)はもちろん、阪神の村山(1970-1972)や太平洋の江藤(1975)、西鉄の中西(1962-1969)が兼任監督をしていたことも覚えています。そして、当時でも兼任監督は大変で滅多に成功しないものだというのが定説でした。まして野球がはるかに高度になった現代に兼任監督が通用するのかどうか、かなり疑問が残ります。

 監督をしていてカラダを壊す人がたくさんいます。それなのに選手としても体調を維持し試合に出なければなりません。まして捕手の古田は守りの要で投手をリードしなければならないのに、ほかのことまで考えながら目配り気配りできるものなのでしょうか?

 野村が好成績を残すことができたのは、ひとつには時代のせいもありますが、もうひとつ重要なのはヘッドコーチにブレイザーという「頭脳」がついていたからです。外国人監督に抵抗があった時代ですから、生え抜きの野村がトップに座っていただけで、試合に出ている野村の代わりにベンチにいて指揮をとり作戦を考えてくれる実質的な監督ブレイザーの支えなくして野村は兼任監督としてある程度の成功を収めることはできなかったと思います。

 ですから古田にもブレイザーにあたる頭脳をヘッドコーチとしてつける必要があると思うのですが、今のところは伊東コーチがヘッドコーチに昇格するだろうということのようで、いかにもこれでは物足りません。ヤクルト生え抜きである必要はないし、できたらよそのチームで監督経験があるくらいの重みと見識のある人物をヘッドコーチに据えるべきでしょう。それなくして古田兼任監督の成功はあり得ないと思います。

 来年は阪神、中日に加えて、2年目になる智将牛島率いる横浜が優勝争いに加わってくることでしょう。古田ヤクルトはAクラス入りできれば御の字。広島と最下位争いにならなければいいけど。あ、原くんのところはこれで4位確定ですね。今年よりひとつ上にいけて良かった良かった。


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