幹事クリタのコーカイ日誌2005

[ 前日翌日最新今月 ]


 
7月14日 ● 名古屋の「ツレ」の文化。

 例えば待ち合わせの時に1人で喫茶店に入ります。「おひとりさまですか?」とウェイトレスに聞かれて、さて何と答えるか。僕は「あ、後からひとりきます」と言いますが、普通の名古屋人は「あ、後からツレがきますから」と言うらしいです。もしくは女の子が一人でいるところに男の子がナンパしてきても「ツレがくるから」と断っているのも名古屋では当たり前の光景です。

 この「ツレ」という単語、意味は「友達、仲間、同伴者」ということですが、本当に名古屋弁なのでしょうか?と言うのも、ネットで検索すると名古屋以外の地域の人でも使っているようですし(ただどうも関西圏の方が多い気がする)、「連れ」から出てきた言葉でしょうから、単純に名古屋弁というのとも違うのかなぁ、という気もします。そもそも名古屋人は「ツレ」は名古屋弁ではなく標準語だと信じていそうだし。

 ただ、もし「ツレ」が京都あたりから平安時代とかに発生して全国に広まったとものと仮定した時(このあたり全くの憶測でなんら証拠はありません)、名古屋近辺で「ツレ」が生き残って使われている意味はわかります。それは名古屋が大都市の割りに未だに基本が「ツレ」の文化だからです。

 とにかく名古屋では生活上の多くを「ツレ」同士で助け合っています。何か必要なことがあると「ツレ」に頼んでみるし、直接役に立つ「ツレ」がいない時にも「ツレのツレ」に口をきいてもらったりします。家を買う時はツレのいる住宅メーカーで、クルマを買う時はツレが勤めているディーラーで、宴会をする店を選ぶ時、習い事をはじめる時、全てツレに紹介してもらって安くしてもらい、さらにプラスアルファのサービスを受けようとします。

 僕のようなコピーライターなんてあまり役に立たない職業の人間にすらなんだかんだと頼みごとをしてくる人がたくさんいます。もちろん僕で役に立てることならさせてもらいますし、ダメな時には誰か紹介します。そうすることで僕も何か頼みごとがある時はお願いするのですから、まさに名古屋は持ちつ持たれつです。

 もっと言えば、名古屋ではそういう役に立つ「ツレ」をたくさん持っていることが分別ある大人としての実力であり、逆にいい年をしてそういうツレを持たない人は「役に立たない」「生活力がない」と思われてしまいます。

 うちのテニスサークルは異業種交流サークルですし、メンバーの年齢も多くが30〜40代の働き盛りの人が多いので、かなり「ツレ」文化の中では役に立つサークルになっています。もちろん、テニスだけで終わらないで、そういうプライベートな部分までお互いに踏み込んでいくのは、人によっては「面倒だ」「鬱陶しい」と思うかも知れません。しかし、テニスだけの関係でいいじゃないか、と思うのはあまり名古屋的ではありません。

 名古屋で生きていくなら、そういうネットワークを持っているかどうかは生き易さに直結します。だから僕はうちのサークルに転勤族を優先的に入会させています。名古屋に地縁血縁がない彼らは名古屋では「社会的弱者」になりかねないからです。名古屋が「排他的」だと思われるのは、そういう「ツレ社会」を理解していない人の見方であって、決して「よそ者」だから排除しているわけではありません。システムを理解し、仲間に入ってくればちゃんと歓迎するし、ずっと暮らしやすくなります。実際名古屋に来て「こんなに暮らしやすい町だとは思わなかった」という人たちをたくさん知っています。

 人と人とのつながりの中で、お互いに助け合って生きていくのは、人間の作った「社会」の基本的なあり方だと思います。名古屋は大都市の割にプリミティブな社会の原型が今もちゃんと残っている血の通った町なのです。「ツレ」の文化を「田舎くさい」と拒否して、全てを契約と金銭で解決しようとする「東京的」スタイルを支持する人には理解されないかも知れませんけどね。


とりあえず、読むたびに(1日1回)

を押してください。 日記才人という人気ランキングに投票されます。
初めての方は、初回のみ投票者登録画面に飛びます。
結構更新の励みにしていますので、押していってくださると嬉しいです。