幹事クリタのコーカイ日誌2005

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6月1日 ● 名大関・貴ノ花。

 元大関貴ノ花が亡くなりました。まだ56才の若さ。しかも「花田家」が皇室並みにもてはやされていたのは一瞬で、晩年はただただスキャンダラスなマスコミの格好の餌食になっていただけに、余計にその死がせつなく胸が締め付けられるような気持になります。

 若い人には若貴兄弟の父親で師匠の「二子山親方」でしかないでしょうが、我々の世代には「悲運の名大関・貴ノ花」です。時代を代表するスター。それはあの長嶋茂雄が「キテレツなオヤジ」としか認識されていないのと同じで、現役時代を知らない人と知っている人では全くその輝きが違うのです。

 僕たちが小学生の頃、まだ十両に上がる前から注目を集めた角界きってのサラブレッド。実兄は名横綱「土俵の鬼」初代若乃花。中学時代は水泳で金メダルを狙えると言われていた逸材なのに「金メダルでは飯が食えない」と角界に転向。小柄な美男力士で、小兵なのに常に真っ向勝負するその凛々しい相撲はファンの心を捉え、昭和40年代後半に人気は絶頂に達しました。

 小結時代に大横綱大鵬に土をつけて引退を決意させ、横綱北の富士を土俵中央で反り返って投げ「付き手」か「かばい手」かで大議論を巻き起こし、高見山との投げ合いで髷が土俵を掃いて負けた時には「髷がなければ相撲が取れないから仕方ない」と言い放ち、北の湖との優勝決定戦で勝った初優勝時には国技館中の座布団が舞い、そして新進気鋭の千代の富士に負けて引退を決意。彼の土俵は常にライバルたちとの熱い戦いであり物語に満ちていました。

 中でも「黄金の左」輪島とは同時に大関に昇進したほどのライバルで、異端の横綱と悲運の美男大関として当時の人気を二分しました。もちろん、そこには「怪童」北の湖という大きな壁があったからこそ。無敵の横綱にして稀代のヒールだった北の湖を倒すために輪島があり貴ノ花があったというわかりやすいライバル関係が相撲ファンのみならず広く国民に支持された理由でした。

 貴ノ花と北の湖の関係は長嶋茂雄と王貞治の関係に似ています。「人気」と「実力」、「記憶」と「記録」、「太陽」と「月」。当時は他にも「ハイセイコー」と「タケホープ」、「田中角栄」と「福田赳夫」と言った類似のライバル関係があり、そうした国民的ヒーローたちが世間に夢と希望を与えていました。

 当時中学生だった僕もまだ今ほどひねくれていなかったので、もちろん角栄-長嶋-貴ノ花ラインが好きで、その華やかな明るさに憧れたものでした。そしてオイルショックで日本の高度経済成長が終わるとともに彼らの時代も終わっていき、いつの間にか世の中は地味な「実力」の時代になりました。


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