幹事クリタのコーカイ日誌2005

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3月25日 ● オールナイトニッポン世代。

 中島みゆきやタモリが「ライブドアに買収されたらニッポン放送への出演は拒否する」という証言をしていたというニュース。なるほど、ニッポン放送と言えば『オールナイトニッポン』が看板番組ですし、それで育ったスターたちにしてみれば、お世話になったラジオ局のために何かしようとそういう証言をすることも十分考えられます。まあ結果として効は奏さなかったんですけどね。

 みゆきやタモリなんて、今さら一ラジオ局と縁を切ったところで全然困らないだろうし。もちろんニッポン放送だけではなくフジテレビさえもホリエモンに買収された暁には、ちょっとタレント活動をしていく上で困るかも知れないけど、みゆきはそもそもテレビに出ないことが「売り」みたいなところはあるし、タモリだって『笑っていいとも』なんていつでも辞めてやるくらい言いそうです。辞められて困るのはむしろフジテレビ側ですからね。

 ホリエモンにしたら『オールナイトニッポン』つながりで、タレントからこんな反撃を喰らうとはさすがに「想定外」だったかも知れません。ちょっと想像がつかないですが、ホリエモンは『オールナイトニッポン』を聞いたことがあるのでしょうか?いや、もちろん番組自体は今も続いていることは知っていますし、だからホリエモンが聞いていた可能性は十分にあるのですが、ただ何となくあの番組の黄金時代と言うのは1970年代から1980年代前半というイメージがあるので、ホリエモンと番組が結びつかないのです。聞いてないからこその「想定外」というか。

 僕たちが10代の頃、『オールナイトニッポン』はまさに僕らの共通言語でした。笑福亭鶴光やあのねのね、中島みゆきらが僕たちの深夜のアイドルでした。当時普及し始めたラジカセから流れる彼らのトークは翌日(もしくは翌週)の話題の中心であり、聞いていないと仲間内で取り残されるという焦りにも似た気持ちもあって、眠い目をこすりながら耳をそばだてていたものです。

 あの頃は今と比べて若者の娯楽は本当に少なかったのです。今ならゲームがありネットがあり携帯電話があります。深夜に自室にこもってやることがいくらでもありますが、僕たちの頃はラジカセを聞くくらいしかやることがありませんでした。勢い、リスナーとパーソナリティの連帯感もかなり強かったと思います。それだけ深夜ラジオが熱い時代だったのです。

 もちろん、こうした話はオヤジの感傷以上のものではないかも知れないし、ホリエモンにしたらむしろそういう古い番組やメンタリティを切り捨ててこそ、新しいメディアの構築ができると思っているかも知れません。時代が変わればメディアも変わります。いつまでも『オールナイトニッポン』でもないのでしょうが、ラジオらしい「距離の近さ」だけは、ホリエモンも大事にした方がいいと思います。


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