幹事クリタのコーカイ日誌2005

[ 前日翌日最新今月 ]


 
3月15日 ● 「付き合おう」という約束。

 『付き合おうか?』『はい』に関する世代間ギャップ
 「『付き合おうか?』『はい』に関する世代間ギャップ」に対するご意見色々

 大変興味深い話題ながら、ちょっと乗り遅れてしまいましたが、上記の高樹さんのサイトのコラム二題をできたらまず先にお読みいただけると嬉しいです。

 面倒だから読みたくないという人のためにごく簡単にまとめると、今の若者は付き合う時に「付き合おうか?」「はい」みたいな言葉による明確な確認をするようだけど、それって上の世代では言わなかったよね、世代間でギャップがあるんじゃないの?ってことです。

 で、それに対して意見を募集したところ、そういう傾向は明らかにあることが判明し、その理由として若者は「言葉で確かめないと不安だから」ということで、それって結局「セフレ」というものが一般化してしまった(本当か?)風潮によるものなのかなぁ、オジサンオバサンは何だか寂しいよ、ということでした。

 僕も以前に20代半ばの女性とこの話題をして、僕たち世代との認識の差に驚いたことがあります。彼女は「付き合おうか?」という言葉なしで付き合ったことはないと言い、逆に僕はそんな言葉は過去に一度も言ったことがなかったからです。

 確かに女性にしてみれば「遊ばれているだけかな?」と不安になるから言葉にして欲しいという気持ちはわかります。またそんな曖昧な付き合いを「嘆かわしい」と思う中高年の気持ちもわかります。ただ、これをまるで「ジャンボマックスを知っているかどうか」のように単なる世代間のギャップだなぁ、で済ましていいものかなという気も少ししています。

 と言うのも、これではホリエモンはなっとらん!と言うオヤジ世代と同じだからです。ホリエモンは突然変異で生まれてきたわけではなく、彼は戦後の日本の社会が生み出した「拝金主義」的な「教育の成果」だからです。とにかくお金を儲けることが一番大事で、そのために品格も美学も志もモラルさえも置いてきぼりにしてきた日本のまさに落とし子がホリエモンです。

 同様に大して好きでもないのに定期的にそういう関係を持ってしまう男女関係を当たり前の社会にしたのも、我々の世代の責任です。実際、僕も20代前半は「付き合おう」とは言わずに複数の女性と付き合ってきたこともありました。その代わり「好きだよ」は言うのですが、それはもちろん「(キミだけが)好きだよ」と言う意味で女性は受け取っていましたが、こちらは「(キミも)好きだよ」程度の意味だったりした時もあります。

 そんな被害に遭ってきた女性たちが学んで、いつの間にか「付き合おう」「はい」という「契約恋愛社会」を築いたのだと思います。だから、もし僕の妹や娘に男と付き合っていると言われたら、「ちゃんと確認したか?遊ばれてるだけじゃないか?」と心配しそうな気がします。だって男なんて、特にやりたい盛りの20代までの若い男なんてそんなもんでしょ、と僕も思うからです。

 ただ、この「契約恋愛社会」には落とし穴もあります。それは口約束をしたくらいで相手を信じすぎてはいけないということです。もし僕がいま20代の僕ならば、ほいほいとあちらこちらの女性に「付き合おう」という空手形を連発すると思います。別にお金がかかるわけじゃないし、それで女性が信じて付き合ってくれるのならお安い御用です。

 その点、昔の方がお互いに緊張感はありました。本当に付き合っているのかどうかを態度で判断する以上、当然相手に対して観察は欠かせないし、信じてもらえるようお互いに相手に対する努力が必要です。結果としてより深く緊密な恋愛関係が築けたと思います。

 「付き合おう」という契約をすることは決して悪いことではないと思います。ただ、それに頼りすぎてしまうことは、よりよい恋愛の妨げになると僕は思います。「付き合っている」という状態に甘えて安心していては、そこに何の喜びも癒しも刺激もありません。言葉があろうがなかろうが、結局大事なのはお互いを思い合う気持ちなのですから。


とりあえず、読むたびに(1日1回)

を押してください。 日記才人という人気ランキングに投票されます。
初めての方は、初回のみ投票者登録画面に飛びます。
結構更新の励みにしていますので、押していってくださると嬉しいです。