幹事クリタのコーカイ日誌2005

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3月9日 ● 卒業式と自立。

 息子の中学の卒業式がありました。と言っても別に僕は出席したわけでもなんでもないのですが、とうとう息子も義務教育を終えたわけで、これで親としての最低限の義務は果たしたかなと思います。もちろん、今の世の中で義務教育を終えたからと言って子どもを世間にすぐに放り出す人はほとんどいないでしょうが、これからは少しずつ親としての責任は減っていき、本人が自分の力と責任で生きていくことになるわけです。

 僕の父親は「親の責任は高校まで」と常々言っていました。だから大学に通いたければ自分で通え、と。実際、僕はバイトと奨学金で授業料を払い、ついでに大学生の身でありながら遊ぶ金も旅行に行く資金もクルマも自分で稼いだ金で何とかやりくりしました。

 弟も似たようなもので、僕はまだ実家から大学に通っていたから生活費までは払わずに済みましたが、弟は家を出て金沢へ行ってしまっため、仕送りゼロで授業料から寮費も含めて全て自力でまかなっていました。我が弟ながらよくやっているもんだと感心して、時々小遣いをやっていたものです。

 当時は家が貧乏だったこともあり、こうしたことも「仕方ない」と別に何とも思っていなかったのですが、会社に入ってから周りの人間に話すとひどく驚かれることがありました。中には社会人になってからも家に金を入れるどころか逆に小遣いを親から貰っている奴がいたりして、そうか、世間の親はそんなに子どもの面倒をいつまでも見るんだと逆にこちらが驚くほどです。親の役割は子どもを自立できるように育てることだと思っていましたが、どうやら世間では違うようなのです。

 結婚資金なんて当然僕も弟も自力で何とかしていますが、最近は親が出すのが当たり前のような風潮らしく、貯金なんかしないで平気で結婚する奴がたくさんいるようです。結婚式と新婚旅行と新居の費用と合わせて数百万円は必要なんだから親が援助しなくては無理、と言い切る若者までいますが、そんな数百万円もかけなくても工夫と割り切り次第でいくらでも安くなるんですけどねぇ。親の臑はいつまでもかじっていられるほど太くはないぞ。

 親が子どもを甘やかす、特に経済的にいつまでも援助するのは、一種の親の罠です。そうやっていつまでも子どもが親離れをできないように無意識のうちに仕組んでいるわけです。しかし、親子がべったりくっついていることが本当に良いことなのか、それは少なくとも子どものためにはならないのではないかと僕は思っています。子どもは早くから自立した方がいいし、経済的には貧乏でもガマンして自分でやりくりを覚えていくべきです。特に依存心の強い若い男性は、大抵の場合親が甘いんですから。後で苦労するのは本人と嫁さんです。うーん、なんだか僕って昔の「頑固オヤジ」なんでしょうか?

 そんなわけで、中学を卒業した時点で息子にはもっとしっかりと「自立」について自覚させようと思っているのですが、これがまた極端にのんびりかつボンヤリな性格なので、話をしていても雲を掴むような思いです。もっともあんまりボンヤリしているので、きっと貧乏でも全然苦にしない感じなのは、頼もしいと言えば頼もしいんですけどね。単に鈍感で何も感じていないだけなんですが、きっと。


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