幹事クリタのコーカイ日誌2005

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3月3日 ● 「足るを知る」むつかしさ。

 ある調査で、年収がいくらあったら満足か、という質問をしたところ、年収400万円の人も800万円の人も1200万円の人も「あと200万円あったら」と答えたそうです。つまりいくらあってもお金は「足りない」と感じるもののようで、それは誰もが収入なりの暮らしをしつつ、「もう少しあったらな」と思っているということです。

 子どもができて生まれてくる時、親なら「とにかく無事で、五体満足であればもう十分」と願うものです。ところが生まれてきたら途端に欲張りになって「もう少し可愛いといいのに」とか思い始め、さらに成長するにつれて「成績が悪い」「友達が悪い」「素直じゃない」「親に優しくない」などなど、次々と子どもに対して要求を突きつけていきます。五体満足で美人に生まれても、成績のことを言われ、勉強して成績を上げても今度は可愛げが必要だと言われ、可愛げがあれば男関係に文句を言う。親はつくづく欲張りです。

 異性と出会いがない人は、とにかくどこかで見かけた心ときめく異性と話ができるようになりたいと願います。あんな素敵な人なら友達になれるだけで十分と思います。ところが友達になったら、今度は二人きりで会いたいと思い、デートできたらキスしたい、キスができたら最後まで、そして付き合いが続けば結婚を望むようになります。

 ところがその結婚で満足するかと思いきや、今度は安定はあっても刺激が足りないと思い始め、どこかに心ときめくような恋が落ちてないかと妄想を始め、そこから実際に素敵な人を見かけて友達になりたいと思い、後は最初のループに戻って飽くことを知りません。

 どんなことであれ、人間は本当に欲張りにできているようで、「これで十分、もういらない」とはなかなか思えないものです。ホリエモンなんか見ていると「そんなに欲張ってどうするつもりだ?」と思いますが、彼はその欲張ることこそ生きていくモチベーションなのかも知れません。すなわち、欲張りだからこそみんな努力することができるわけで、例えばイチローがどこかで「もう十分」と思ってしまったら、彼のここまでの成功はなかったことでしょう。欲が人を努力させ進歩させてきたのです。

 だから「足るを知る」ことはひとつ間違えると停滞や怠惰や諦めに結びつきかねないだけに、あまり成長途上の人間は考えない方が良い言葉です。そして、いくつになっても人間は成長できるものだとしたら、一生「足るを知る」ことは必要ないのかも。エネルギーに溢れている人が「足るを知る」なんて言われても意味わからないでしょうし、そんなことをしたらエネルギーを持て余しちゃいます。

 ちなみに冒頭の調査ですが、実は年収1500万円を超えると「もう十分」と思う人がぐっと増えるそうです。その代わり今度は「時間が欲しい」「ゆとりが欲しい」と言い出すそうで、これもコストパフォーマンスを向上させたいという意味だと考えれば、決して「足るを知った」わけではないと思います。


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