幹事クリタのコーカイ日誌2004

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11月29日 ● 自分のルーツ。

 昨日は父の四十九日の法要でした。親戚一同集まって法要と食事。通夜から始まってこれでようやく一段落。父もきっと安心して成仏したことでしょう。僕もようやく少し落ち着くことができそうです。

 ところで今回父と伯父が立て続けに亡くなったせいで父方の従兄弟たちと何回も会って、これまでよくわかっていなかった父方の先祖がどうなっているのか、ようやく理解することができました。と言うのも、父方の両親、つまり僕や従兄弟たちの祖父母は終戦前後に相次いで死んでいるために、我々は祖父母と話したことはおろか、名前や顔さえよくわかっていなかったのです。

 今回相続などのために除籍された戸籍謄本まで取り寄せたことから、ようやく祖父母以上にどういう人たちがいたのかわかりました。なにせこれまでは伯父と父は2人兄弟だとみんな思っていたのですが、実は2人早逝していて4人兄弟だったということすら初めてハッキリしたくらいですから。

 戸籍謄本を元に、ずっと自分で家系図を作ってみたら、僕から4世代上、すなわち僕の「ひいひいじいちゃん&ばあちゃん」まで名前がわかりました。もう4代前というとすっかり江戸時代の人ですから、生まれたのも「ひいじいちゃん」が嘉永3年(1850年)、「ひいひいばあちゃん」にいたっては文化4年(1807年)でした。残念ながら「ひいひいじいちゃん」の生年はわからなかったのですが、19世紀初頭であることは間違いないでしょう。

 明治天皇が嘉永5年(1852年)生まれで「ひいじいちゃん」と2才違い、佐久間象三が文化8年(1811年)生まれで「ひいひいばあちゃん」と4才違い。それにしても昔の人です。僕と皇太子浩宮は1才違いですが、僕の3代上と皇太子の4代上がほぼ同年ということになります。

 なんでたった4代でそんなに離れてしまうのかと丹念に生年を調べてみたら、どうも全体にうちの父方の家系は年を取ってから生まれている傾向にあることがわかりました。僕は父が30才の時に生まれ、父は祖父が43才の時の子、祖父は曾祖父が37才の時、そして曾祖父は曾々祖母がこれも43才の時の子なのです。だから4代遡っただけで僕より150才以上も年上になってしまいます。うちの娘と曾々祖母は5代で186才違いにもなります。

 それにしてもここまでわかるとは日本の戸籍は凄いです。近代的な戸籍制度は明治5年の「壬申戸籍」からでしょうが、戸籍の保存期間は80年ということですから、遡れるのも明治初頭に生きていた人たちくらいまでなのでしょう。今のうちに古い戸籍を調べておかないとご先祖様のことも全然わからなくなりそうですね。


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