幹事クリタのコーカイ日誌2004

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10月30日 ● 父と似ているところ。

 僕と亡くなった父はキャラクター的には全く似ていません。父子とは思えないほどに違うタイプの人間でした。父は派手なことがキライ、目立つことがキライ、シャイで真面目で地道で内向的です。僕は派手好きとまでは言いませんが、目立つことはキライじゃないし、人前に出るのは好き、社交的で人を驚かせたり笑わせるのが好きで場を仕切るタイプです。

 父は無趣味で友人も少なく、こつこつと家のことをするのが好きでしたが、僕は家にいるよりも外へ遊びに行くのが大好きです。父が浮気することなんて想像もできませんが、僕はいつも浮気しているんじゃないかと思われているようです(事実ではありません、あくまでもイメージの話です)。

 一番の違いは父は「表現」することが苦手だったということです。自分の気持ちや状況をわかりやすく表現するのも苦手だったし、何かを創作してそれをカタチにして表現することもダメでした。逆に僕は話したり書いたりして何かを表現することが好きですし得意です。人の前で話せと言われると、父はそれが例え数人でも尻込みをしますが、僕はオーディエンスが多いほど張り切ります。父が元気な頃、本当に僕とは似てないなぁ、とお互いに感じていたと思います。

 そんな全く違うタイプの父と僕ですが、もちろん親子ですから実は似ているところもあります。中でも僕が一番父との共通項として感じているのは「子ども好き」という点です。父は本当に子どもが好きで、それは多分大人が苦手だったことからくる裏返しの部分もあったと思いますが、自分の子であれ親戚の子であれ近所の子であれ、とにかく可愛がっていました。子どもを相手にしている時の父はいつも生き生きとしていて、いつまででも一緒に遊んでいたいという顔をしていたものです。

 僕も子どもが大好きで、ショッピングセンターや電車の中で幼い子を見かけると、ついつい笑いかけてしまいます。向こうが興味を持ってくれたらもう遊びたくて仕方ありません。さすがにこの御時世、全く知らない子どもと遊ぼうとすれば当然「怪しい人」になってしまいますからグッと我慢はしてはいますけどね。

 だから僕は子どもが可哀想なことになる話というのが大の苦手です。小説でも映画でもドラマでも子どもが主役で死んでしまうような話(例えば『火垂るの墓』とか)は、とても最後まで見ていられません。先日松田聖子主演のドラマ『たったひとつのたからもの』をやっていましたが、あれも僕はCMが限界で、本もすでに読めませんでした。立ち読みでパラパラめくっただけで涙が出てきたので、慌てて本を閉じたくらいです。当然、ドラマはビデオに録画したものの見る勇気がありません。

 虐待死した子どものニュースに理性を超えて「ふざけんじゃねぇ!」と反応してしまうのも、父から受け継いだ子ども好きの血のせいです。葬儀の司会者と打ち合わせをしていた時に、父が子ども好きだったという話をしたら「子どもを好きの人に悪い人はいないって言いますしね」と言ってくれましたが、父はともかく僕はちょっと“悪い人”なので、それは嘘だなぁと思いましたけどね。子どもが好きだからイコール良い人ではありません。単にそれは犬が好きとかカレーライスが好きとか海が好き!と同じ好き嫌いの問題です。

 ただその「単なる好き嫌い」で父と共通項があったことを葬儀の時に改めて気づいて、僕はちょっと嬉しく、そしてちょっと悲しくなりました。


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