幹事クリタのコーカイ日誌2004

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10月26日 ● 喪主は幹事である。

 今回の父の葬儀では長男である僕が喪主を務めました。普通、残された母か長男の僕のどちらかが喪主になるものでしょうが、母は最初から長男が喪主になるもんだと決めていたようで、まあそれならと僕が引き受けました。

 実際に喪主を務めてみると、これは単に家族が亡くなっただけというのとはまた“景色”が違うなと実感しました。次男である弟と喪主の僕とでは全然立場が違うのです。弟は同じ「子」の立場であるのに、父の甥や姪(つまり僕たちの従兄弟)、その連れ合いや子どもなどと同じ「その他大勢」の親族と変わらない扱いです。何でも僕が筆頭、次に母。この順序だけは動かないので、あらゆる葬儀に関わる雑事も全て僕と母にかぶさってきます。母は親族の対応などが中心になりますから、それ以外の渉外は全て僕が担当です。

 最初に葬儀社の担当と打ち合わせをした時から、葬儀の段取り、祭壇や飾る花の決定、出立料理や精進落としの料理などの種類の決定と数の手配、焼香の順序、僧侶への対応、喪主としての挨拶、香典の管理、受付を誰に頼むのか、親族は誰がいつ来ていつ帰るのか、葬祭場へのバスの手配、司会との打ち合わせ、弔電の順序。そういった細かい事柄に至るまで全ての決め事を僕と母でして、なおかつ当日は何でも中心になって気を遣って動いて挨拶をして手配をしなければなりません。

 つまり喪主というのは葬儀というイベントの幹事役なのです。本来は一番故人に近しくて悲しい立場の人間のはずなんですが、そんなこと言っている余裕もなくバタバタと走り回っていました。悲しみを感じたのは、お通夜で一人父の棺の横に座っていた時と、出棺の時、そしていよいよ焼かれてしまう扉が閉まっていく時の3回くらい。お骨になって出てきた時は悲しいというよりも「あーあ」という感じでした。この時の気分は「やっちゃったよ」って感じですかね。もう取り返しがつかないよなぁ、こうなっちゃうと、ってところです。

 そんなわけで「幹事クリタ」としては普段やっている幹事役とさして変わらない気分で喪主という幹事を務めてきたわけですが、正直これくらいのイベントなら高校の同窓会よりも楽なくらいでした。参加人数も100名を越えるくらいですから、規模としても高校の同窓会並みでしたし、何と言っても葬儀社というプロがサポートしてくれるので面倒なことはお任せできちゃいますからね。

 ただ僕は慣れているから大丈夫ですけど、普段こういうことをやり慣れていない人にはかなり心労だろうなとは思います。仮に祖父母など親族の葬式を出したことがあると言っても、それでも喪主の立場でなければ負担は恐らく数分の一以下に過ぎません。女性は自分が喪主を務めるのはダンナが死んだ時くらいでしょうが、その場合も息子がいればうちの母のようにさっさと長男に役目を振った方が良いと思います。

 男の子がいない、もしくは子どもがいない場合は、覚悟を決めてとにかく簡略に済ますことでしょうね。今回僕も自分の会社関係は弔問と香典を遠慮するということを伝えておきました。理由のひとつは金曜の夜に死んで土日で通夜と葬儀なので、予定があって来られない人や連絡がつかない人も多いだろうと思い、そういう人たちの気分を軽くするためであり、もうひとつは自分自身が喪主なので、会社関係まで対応するのは大変だということがわかっていたからです。お陰で会社関係はごく親しい人たちだけが来ただけで、僕としても楽できたので正解だったと思っています。

 これからはもろもろの手続き関係が残っているのと、法事をやらなければなりません。とりあえず百ヶ日までの日取りは決まりましたが、今後も一周忌、三回忌と法事は続きます。それも自分が仕切るのかと思うと、少し気分が憂鬱です。大人になるのも大変です。


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