幹事クリタのコーカイ日誌2004

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10月8日 ● 失うものの多い人生。

 「多くを持つ者は多くを失う者である。少ししか持たなければ、失うものも少なく、心は安らかである。多くを得ることは決して幸せなこととは言えない」(17世紀の哲学者シーツ・アタリークの言葉)

 僕が最近「いいことないよぉ」と溜息をついていたら、ある人から「いいじゃないですか、クリタさんはいろいろなものを持っていて幸せだと思いますよぉ。それもモノだけではなく趣味とか特技とか仲間とかいろいろあるじゃないですか」と言われてしまいました。

 そう言われるほど実際は大したことはないのですが、「モノより思い出」を大事にするタイプなので、多くの友人知人は確かにいますし、いろいろな分野に関して経験と知識を持ち、楽しみ方を知っている方だとは思います。そこそこアクティブに40年以上生きてくれば、それなりにいろいろ得るのはある意味当たり前かも知れません。

 ただこうして得たものが多いということは、それを失うことも多いのです。逆に何も持たない人は失うことを怖れないで済みますから、いちいちショックを受けなくてノビノビと暮らせるのかも知れません。だからお金持ちは実は幸せではないんだよ、という、ビンボーな家に生まれた子どものための教育的訓話にもなるわけです。

 一見、この理屈は説得力があるような気がしますが、しかし、本当にそうでしょうか?例えば家族が多い人は、その家族の分だけ死別の悲しみを味わうことになります。もともと天涯孤独な身の上なら肉親と死に別れる悲哀を知らずに済みますが、では本当に大家族よりも一人身の方が幸せでしょうか?

 彼氏彼女のいない人は失恋せずに済むから幸せですか?試合に出なければ負けずに済みますが、それで本当にプレーヤーとして幸せでしょうか?何もしなければ何も失わずに済むという考え方は、つまるところ生まれてこなければ死なずに済むということと同義です。

 僕は生きている以上、やはりいろいろなものを得て楽しむ人生を選びたいと思います。失うことを怖れていては人生楽しくありません。リスクをとらねばリターンもないのです。もしかしたら明日事故や天災で死んじゃうかも知れないんですから、楽しめるうちに楽しんでおきたいし、やりたいことはやる、会いたい人には会う。ま、あまりやり過ぎると単なる享楽主義になってしまいますけど、かといって禁欲的な生き方も性に合いません。好きなものは好きなんです。

 ああ、冒頭の言葉は僕が適当に作った嘘八百です。「シーツ・アタリーク」は逆さにして読んでください。


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