幹事クリタのコーカイ日誌2004

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7月17日 ● サザンの秘宝館。

 いま名古屋三越では「サザンオールスターズ秘宝館スペシャル」という催事をやっています。文字通り、デビュー25周年を越えたサザンの活動を振り返るスペシャルイベントです。

 中に入ると、ずっとサザンの歴史が展示してあり、その時代にふさわしい映像と曲が流れています。またレコードジャケットのみならず、コンサートのパンフレットや桑田と原坊の結婚式の招待状が展示してあったり、エリー神社に茅ヶ崎のジオラマまで、さまざまなサザン関連の資料があって、まさに「秘宝館」という趣でした。

 サザンがデビューした時に僕は高校3年生。初めて「夜のヒットスタジオ」で彼らがジョギングパンツ姿で『勝手にシンドバッド』を歌った時の衝撃は忘れられません。コミックバンドかと思っていたら『いとしのエリー』でいきなりラブバラードを歌ってさらにビックリ。

 サザンはまだ当時青山学院大学に在籍していて、大学受験を控えた僕たちの間では「青学=サザン」という風に結びついてしまいました。もっとも、僕らと同学年で同じような名古屋市内の公立進学校に在籍していた川島なお美が青学に進学したので、翌年からは「サザンと川島なお美の大学」になりましたけどね。

 初期のサザンはまさに僕たちにとってヒーローでした。それまでの歌謡曲や日本のロックの概念をぶち破り、しかも革新的でありながらポピュラーでした。マニアの音楽ではなくメジャーだったことが、80年代を迎えようというあの時代に即していたと思います。

 その後、サザンは解散説もちらつきながら紆余曲折あって、1988年に3年振りのシングル『みんなのうた』で復活しますが、その時の違和感を今でも覚えています。それはサザンも僕たちも大人になってしまったことへの違和感でした。

 その時、サザンのデビューから10年。当時桑田もインタビューなどで読む限りはかなり苦悩していたようですし、高校生だった僕たちも結婚したりしてもう青春という言葉が気恥ずかしい年齢になっていました。だから『みんなのうた』以降のサザンに対しては好きだけど、少し引いて見ている部分があるような気がします。昔のように同化はできない感じですね。

 今回サザンの25年を振り返ることは、自分の18才から43才までの25年間を振り返ることでもありました。いろいろありましたからねぇ、そりゃちょっとセンチにもなるというものです。


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