幹事クリタのコーカイ日誌2004

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4月20日 ● 高橋源一郎エライ!

 昨日19日の朝日新聞夕刊に掲載された高橋源一郎の「人生相談 Q.どこかの国の人質問題」。僕は久しぶりに人が書いた文章で「よくぞ言ってくれた!」と膝を叩いて快哉を叫んでしまいました。見事な論理展開、惚れ惚れするような筆の冴え、さすが高橋源一郎、ただの競馬好きではないなと見直しました。

 詳しいことは当該記事を読んでいただくのが一番ですが、要は最初に書かれている「どんなにいいことをするより、他人に(あるいは「お上」に)迷惑をかけないことの方が大事なのでしょう。家に閉じこもって、テレビを見ながら「戦争か、たいへんだよなあ」と鼻毛でも抜いている人がいちばん立派なのでしょう」という皮肉こそがこの文章の肝です。そう、まさに他人様やお上に迷惑をかけないように、「出る杭は打たれる」から目立たないように生きていかなければいけないのです、この国では。

 高橋は我々国民の義務は納税することであり、政府はその見返りとして「国民の保護」をすることが義務であると言います。人質を救うことはまさしく政府のもっともやらなければならない仕事であり、それをやったからと言って偉そうに感謝しろとは何事か、と言います。全くその通りです。「お上」ではなく公僕なのです。

 またイラクで「がんがん女子ども老人をぶち殺している」アメリカと、そのアメリカに気に入られようとして自衛隊を送り込んでいるコイズミ。それでは日本がイラクの人々から反感を買うのは当然なのに、それを民間のボランティアがイラクの民衆に向けて活動することでテロの危険性を減らし日本の安全に寄与しているのだと。人質たちは日本人がコイズミのような人間ばかりではないことを証明してきたのだから政治家や一部マスコミに感謝されて当然なのに非難の嵐とは何事か、と。

 もちろん、高橋の文章には作家ならでのはレトリックや飛躍、逆説もふんだんにあります。目をつぶって語っていない側面もあるでしょう。しかし、それも含めて僕は自分が抱いていた違和感を実に巧みに彼が表現してくれたことに感動しました。快感ですらありました。

 僕が違和感を感じていること。それはどうして世間の人々はあの人質と家族を非難できるのか、テレビの前で戦争を他人事として眺めている人に、危険を冒してもイラクの人たちのために何かできないかと行動を起こした人をあそこまで非難する資格があるのか、ということ。そして「迷惑をかけておいてあの態度は何だ」(そう怒っている人にどんな迷惑がかかっていたというのでしょうか?)と人質や家族に怒ることが、結局小泉とブッシュを支持しイラク攻撃を是とすることと結びついていることに、どれだけの人が自覚的だったのか、ということです。

 僕は思想的に左翼でもありませんし、右翼でもありません。いわゆる普通の穏健な「生活保守主義」者です。ただ人をののしる前に、まず我が身を振り返ってみるだけの謙虚さは持っているつもりです。

 そう言えば、彼らに怒っていた人たちは「謙虚さがない」と怒っていたんでしたっけ?


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